病院長あいさつ
令和7年4月1日から、市立芦屋病院の病院長を拝命しました水木 満佐央と申します。
私は、1986年に大阪大学医学部を卒業後、大阪大学微生物病研究所附属病院(微研病院)内科で血液内科、腫瘍内科を中心とした診療を開始しました。1993年に大阪大学医学部附属病院(阪大病院)と微研病院との統合により、阪大病院の血液・腫瘍内科に異動後は、同診療科で現在に至るまで血液内科の診療を中心におこなってまいりました。あわせて、2006年に外来で抗がん剤治療をおこなう部門である化学療法部の責任者となり、年間13000人余りの患者さんの抗がん剤治療・免疫疾患治療を安全に快適に提供することに尽力するとともに、オンコロジーセンターの副センター長として阪大病院のがん診療の推進、がん診療に関わる各種専門職の教育にも関わらせていただきました。以上のように医学部卒業後、計36年半の間、大阪大学の附属病院にて一貫して血液内科とがん診療に携わらせていただきました。
また、大学時代は山岳部で六甲山の周囲の岩場へ練習に通い、芦屋ロックガーデンにも月1、2回は登っておりました。芦屋にはたくさんの思い出がございます。六甲山の麓の風光明媚な市立芦屋病院で勤務させていただくことを大変有り難く存じております。
本年は阪神・淡路大震災から30年の節目の年に当たる年ですが、当時の市立芦屋病院の対応の状況が市立芦屋病院誌第2号に詳細に記載されています。未曽有の被害の中、すべての医療従事者、事務職員とともに院外からも多くの方々の協力のもと、皆さんが全力で対応されたことを知ることができます。この時の対応が、現在の病院の施設整備及び、大規模災害時に対応可能な地域ネットワークの構築に生かされていることと存じます。
令和元年から始まった新型コロナウイルス感染症によるパンデミックにあっても、当院は早くから帰国者・接触者外来を開設し、患者さんの入院の受け入れをおこない、地域の医療機関と連携して公的病院として頼っていただける体制を構築しました。そして、大きな院内クラスターや医療崩壊に陥ることなく、病院機能を維持することができました。こちらも感染症専門の職員を中心として、職員全員の協力体制があればこそのものと存じます。
以上のように、災害時や緊急時に存分に発揮されてきた職員全員の素晴らしい力をあわせることで、市立芦屋病院の病院理念である あい(愛) しあわせ(幸福) やさしさ(優しさ)のもと、常に芦屋市民の皆さんの健康と生命を職員の皆さんと一丸となって守っていく所存でございます。何とぞよろしくお願い申し上げます。
2025年4月