広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter99.野分

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

今日は立春から数えてちょうど210日目、いわゆる二百十日にあたります。二百十日から二百二十日にかけては、台風がくる確率が高い日とされ、稲作にとって大敵の暴風雨の襲来する時期です。台風という言葉は明治末期に英語のタイフーン(typhoon)を「颱風(たいふう)」と漢字を当てたことから定着したといいます。もっとも台風の語源としては、中国で激しい風を「大風(タイフーン)」と読んでいて、これがtyphoonと英訳され、その後中国に逆輸入されて「颱風」となった中国語説があります。またアラビア語で嵐を意味する「tufan」が「typhoon」に変化し「颱風」となったアラビア語説、さらにはギリシャ神話の怪物「typhon(テュフォン)」が「typhoon」に変化したギリシャ語説などさまざまです。

台風に伴う暴風が野を分け、草木を吹き分ける荒々しいさまから、古い時代には大風のことを野分(のわき)と呼んでいました。今こそ気象衛星のおかげで台風の位置もピン・ポイントで判り、気象観測技術の進歩でかなり正確な進路予想や風雨予測もできるようになりましたが、昔は荒れ狂う自然の脅威に為すすべもなく、ただ畏れおののいていたことは想像に難くありません。源氏物語54帖のうち第28帖は「野分」が巻名になっています。枕草子にも第200段に台風の吹き荒れる様子が記されています。

源氏物語「野分」では光源氏の長男夕霧が主役で、野分が吹いた日とその翌日が舞台です。野分のいたずらで継母紫の上を偶然見ることの出来た少年夕霧が、そのあまりの美貌に心を奪われ、その夜はまんじりとも出来ません。一方、源氏は紫の上のもとで一夜を過ごし、嵐の翌日に夕霧を伴って娘の玉鬘(たまかずら)を訪問します。ここでも夕霧は源氏と仲睦まじく語らう玉鬘を覗き見て、その美しさに見とれるとともに、二人のあまりの仲の良さに疑問を持ちます。この時源氏は36歳の男盛りですが、当時の習慣とはいえ我が子であっても夕霧に愛人たちを見せることを許さない独占欲の強さと、多感な15歳の夕霧の揺れ動く感情が、非日常の野分を背景に描写されています。

枕草子第200段は「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ(台風の吹き荒れた翌日は、たいそうしみじみと趣深い)」で始まり、垣根や植え込みが吹き折られ、倒された様子が描写されます。また台風のおかげでよく寝ることが出来なかったので、朝寝をしてしまった美しい女性の起き抜けの姿を、髪が風に吹き乱された様で描きます。そして17、8歳ぐらいの大人になりきれていない少女について、美しい髪の毛や着衣、御簾に寄り添って吹き折られて草木の片付けを見ている後ろ姿をこまやかに述べています。筆者が自然の猛威を「あはれ」とし、その結果ふだんと違う美しさを見せた女性二人を「をかし」と感じる感性がわかります。

「野分」は季語にもなっていて、無数の俳句が詠まれています。
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉(松尾芭蕉)
釣鐘のうなるばかりに野分かな(夏目漱石)
いずれも嵐の雨、風の強さが目に見え、聴こえてくるようです。

(2017.9.1)