事業管理者のつぶやき
Chapter92.赤ちゃん
市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆
胎児は母親だけでなく父親からの遺伝子も持っているため、免疫学的には移植された臓器と同じにみなされます。ところが、通常の臓器移植と異なり、拒絶反応は受けないのはなぜか、が私の大学研究室の課題の一つでした。その理由としてノーベル賞受賞者であるイギリスの科学者ピーター・メダワー卿(Peter Brian Medawar 1915~1987)は、(1)母体の免疫系が妊娠中は強く抑制される、(2)胎児や胎盤は免疫学的に未熟で、母体免疫系に認識されない、(3)子宮内は免疫学的に特異な場所である、(4)胎児・胎盤は母体と完全に隔離されている、という4つの可能性を示しました(メダワーの仮説 1953年)。しかし、いずれの可能性も現在では否定的です。むしろ母体は胎児を積極的に認識して、拒絶しない方向に働いていると考えられ、最近の研究では、免疫反応の手綱を引く「制御性T細胞」が重要な機能を担っているといわれます。免疫学の発達に伴い、私たちの研究テーマもいずれは解明されることでしょう。
一方、胎児は母体をどのように認識しているのでしょう。少し前までは、出産によって赤ちゃんに劇的な生理学的変化が起こり、五感の発達が始まるように考えられていました。しかし、赤ちゃんの発達は胎児期、新生児期を問わず連続したものであり、誕生はその一瞬を切り取ったものにすぎません。実際、妊娠後期の胎児と新生児の身体運動に明確な違いは見られず、連続性が見てとれます。最近の医療技術とくに超音波画像診断装置いわゆるエコー検査の機能向上はめざましく、今や4次元(4D)エコー検査でリアルタイムに胎児を立体的に且つ動画で観察出来ることから、胎児の心の動きまで研究することが可能です。胎児は味覚や聴覚を持っていて、苦味より甘味を好むことや、少なくとも胎齢36週の児は母親の声を聴き分けていることが判っています。残念ながら父親の声は判別出来ていません。
ヒトの赤ちゃんは生後2ヶ月目くらいから「まね」をしたりして他者と双方向的なコミュニケーションをとります。このように他者の行為を認知する能力は生まれつきの先天的なものとする説と、後天的に生後の自分の身体を使った経験から得たとする説があります。いずれにしろヒトの「ものまね(身体模倣)」が認知能力を高めて、大人との共有体験が「心」の発達も促すといいます。これらを踏まえて、ヒトの赤ちゃんは生後9ヶ月頃からヒトがヒトたる所以である、種特有の「心」のはたらきをスタートさせると言われます。ところで、「サルまね」という言葉もあるサルも模倣するのでしょうか。実際にはサルは模倣をしません。サルだけでなく、よりヒトに近いチンパンジーにおいてすら、ヒトのように視覚からの身体模倣はとても困難なようです。チンパンジーは訓練によってようやく模倣らしいことが出来るようになります。もっともアメリカの科学誌「サイエンス」が紹介する2016年の優秀業績「今年のブレークスルー」10件の一つに、チンパンジーにも他者の心を読み取る高い認知機能があることを初めて示した研究が選ばれています。
比較認知発達科学を研究する京都大学明和政子教授の「まねが育むヒトの心」(岩波ジュニア新書)は類人猿と比較してヒトの心の発達に焦点を当てていて、子育てに悩むお母さんの参考になるかもしれません。
(2017.2.1)