事業管理者のつぶやき
Chapter63. 偏見
市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆
「二十世紀最後の巨匠」というキャッチフレーズに惹かれて、梅雨入りで大雨の中、上野の東京都美術館のバルテュス展を訪れました。バルテュス(バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001年)はポーランド貴族の血を引く画家の両親から生まれ、芸術一家の環境で育ちました。両親はのちに離婚し、あの詩人リルケは母の恋人であっただけでなく、少年バルテュスの画才をも見いだしたようです。抽象画の天才ピカソをして賞賛せしめた具象画家バルテュスですが、その評価、知名度はそれほど高くありません。実際に作品の数々を鑑賞しますと、なるほどとうなずける節もありました。
猫と少女を好んで題材に用いたのは有名で、愛猫ミツを描いた40枚の素描やシーフード・レストランのために制作したコミカルに擬人化された猫は、猫への愛情が溢れています。一方、女性をモデルにした作品に、成熟女性は見られず、もっぱら少女の、それもしどけなく挑発的な姿態が描かれています。代表的作品「夢見るテレーズ」をはじめ「美しい日々」、「決して来ない時」、「読書するカティア」には猫が登場するものもありますが、似たポーズを見せる少女たちがテーマです。最も顕著な作品は「ギターのレッスン」のきわめてエロティックな場面でしょう。この絵は彼の個展で、別室にカーテンを掛けて展示された曰く付きで、バルテュス自身が有名になりたくて意図的にスキャンダラスに企画したようです。
同じ日、丸の内の三菱一号館美術館で「バルテュス 最後の写真-密室の対話」展が行われていました。晩年、手が不自由になり、筆をポラロイドカメラに替えて、モデルを撮影した作品展です。ここでも少女たちのポーズは同じでした。初めての訪日で見初めて再婚した節子夫人が、当時20歳であったことを考えると、彼はやはり美少女がかぎりなく好きだったのでしょう。節子夫人もバルテュスはアーティストより職人として「エロスを追求」していたと語っています。バルテュスに対する誤解が生まれた源かも知れません。私自身は、彼の絵画の人物像に見る太くて角度のついた首の線と顔の描写に印象づけられました。歌舞伎の見得を切るような特徴的な表情は、日本文化に強い関心を示していたバルテュスの心情の吐露と感じたのは私だけでしょうか。
誤解や偏見が生みだした悲劇の実話を描いたのが、アメリカ映画「チョコレートドーナツ」です。ゲイのカップルが、ドラッグ漬けのシングルマザーの服役中にその息子を引き取って育てようとします。男の子マルコは知的障害こそありますが、お気に入りの人形、ディスコダンス、ハッピーエンドのお話、チョコレートドーナツが大好きな可愛い性格の持ち主です。しかし、家庭局(児童相談所?)は、ゲイまして女装のショーダンサーで稼ぐルディと弁護士ポールのカップルがダウン症の少年を育てることを許しません。法廷闘争に持ち込まれ、カップルが如何に少年を愛し、慈しんでいるか、また少年が彼らのおかげで支障なく成長していることが、特殊学級の教師たちの証言で明らかにされます。しかし、判事を含め、世間の偏見、差別は強く、ついに彼らは引き裂かれてしまいます。
1970年代のゲイへの差別は今以上のものであったことは想像に難くありません。実際にダウン症の俳優がマルコ少年で好演技を見せ、ルディ役のアラン・カミングは演技だけでなく、劇中の歌でも観客を圧倒します。ルディの歌う「I shall be released」(ボブ・ディランの名曲です!)の歌詞が、映画の原題「ANY DAY NOW(今すぐにでも)」に使われています。実話同様、やりきれない結末を迎える映画ですが、思いこみや差別のもたらす危険性についてあらためて考える機会を与えられました。
(2014.9.1)