事業管理者のつぶやき
Chapter49. 似て非なる
市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆
見た目が似て非なるものの例に、「ひらめ(鮃)とかれい(鰈)」、「そうめん(素麺)とひやむぎ(冷や麦)」などがありますが、「ハス(蓮)とスイレン(睡蓮)」もその一つです。蓮は七月中旬に開花することから、旧暦七十二候のうち、小暑の次候は「蓮はじめて開く」とされています。蓮の花「蓮華」は如来像の台座など仏教の思想や美術と深い関係がみられますが、これは沼など泥の中からすっくと立ち上がり、気高く美しい花を咲かせる姿に仏教の教えをイメージしたと言われます。蓮華は日中に花弁が開き、夕に閉じ、これを三日間繰り返します。ハスは食用にも供され、果実(種子)は俗に「ハスの実」と呼ばれ、そのままあるいは加工して食べられます。中国では道端の屋台などで「ハスの実」を売っているのを見かけました。地下茎はご存じ「レンコン」として主にアジアで食材に使われます。
一方、スイレンはハス同様に水面に葉と花を繰り広げ、花の寿命も三日間で同じです。大きな違いは、葉にあります。スイレンは基本的に葉に切れ込みが入りますが、ハスの葉には入りません。また、ハスの葉には撥水性があるのが特徴的ですが、これは葉の表面の微細な凹凸構造によるもので、スイレンには見られません。ハスの葉の撥水性は「ハス効果(Lotus effect)」と呼ばれ、テフロン加工の鍋などに応用されています。スイレンの地下茎はレンコンのように穴もあいていませんし、もちろん食用にもなりません。
スイレンと言えば、印象派画家クロード・モネ(1840-1926年)が自宅の庭にある池を描き続けた「睡蓮」を思い浮かべますが、「睡蓮」だけで実に200点にのぼる作品を残しています。年代順にこの作品群を見ていきますと、モネに視力障害が発生し、進行していることが判ります。加齢による慢性核白内障と考えられ、水晶体が着色し、濁ってくることから生じる色覚変化と視力低下により、晩年の作品は赤みを帯び、以前と比較して夢幻的な絵画になっています。モネ自身も自覚があって、眼科医を受診していますが、手術に抵抗していたようです。1912年頃の彼の視力は0.4(アメリカ式標記20/50)以下と推測され、さらに進行した1918年にはおよそ0.2(同20/100)に低下したと推測され、1919年から1922年まで絵画制作を断念しています。その後、1924年に受けた手術で視力を取り戻し、現在オランジェリー美術館所蔵の巨大な「睡蓮」を精密に製作しました。
医学とくに眼科学の立場から絵画を見て、芸術と眼科学を論じて考察することは、文字通り視点を変えた研究であり、興味深く感じます。米国医師会雑誌の論文(Michael F. Marmor, 2006)では、モネに加えてドガ(1834-1917年)の眼疾患についても述べています。ドガはおそらく網膜中心(黄斑)の障害による進行性の網膜疾患であったと推測されます。1880年代に視力は0.2~0.1に低下し、さらに1900年になると0.1~0.05といっそうの悪化が観察されます。視力低下は当然作風に影響を与え、1870年代の作品に見られた顔の細部へのこだわり、注意深い陰影の表現、踊り子の衣装の襞などきわめて正確な描写が、80年代以降には目に見えておおまかになっています。
画家の作品の時代的変化は、思想・心情の変化、環境の影響などで多くは説明されますが、眼科学を介して評価すると科学的な解釈が出来ることもあります。病む前後の異なった眼を通して描かれた作品もまた「似て非なる」ものかも知れません。
(2013.7.1)