広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter46. 春の訪れ

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

春の兆しを感じさせる鳴き声の持ち主、ウグイスの別名は春告鳥(はるつげどり)ですが、実際には2月の季語で、この時期まだまだ春は実感できません。関西では、やはり「お水取りが済まないと春が来ない」ようで、奈良・東大寺で行われる一連の修二会(しゅにえ)行事が終わる3月中旬に、名実ともに春の訪れを体感できます。

同じ3月中旬、 3月17日にアメリカではセントパトリックスデー(St Patrick's Day)のお祝いが各地で行われ、ニューヨークでは最大のパレードが開催されます。聖パトリックは4世紀のアイルランドにキリスト教を布教したパトリキウス(Patricius)の英語名で、アイルランドの守護聖人として讃えられ、この日は彼の命日です。本国に負けないパレードがアメリカで行われるのは、アイルランド系移民が多いからでしょう。ナショナル・カラーであるグリーンを強調したパレードも盛観ですが、緑色のビールまで供されるのにはびっくりします。シカゴでは流れる川まで緑に染めるそうです。この日は信教の有無を問わず、緑色の品を身につける習慣で、私も緑のセーターを着込んでパレードを見物しました。セントパトリックスデーはイースター(復活祭)とともにキリスト教徒には春の訪れを感じさせるお祭りのように思います。

私はアイルランドに行ったこともなく、アイリッシュコーヒーかアイリッシュセーターくらいしかなじみはありません。アメリカの小説などを読むと、アイルランド人は頑固、偏屈、田舎者などのイメージで描かれることが多く、決して文化的に尊敬されているように思えません。アイルランドはイギリスの植民地支配を受けた農業国で、19世紀半ばの大飢饉から多数の移民が生活のためアメリカを目指したせいもあるのでしょう。この時代の首都ダブリンのホテルを舞台に、ウェイトレスならぬウェイターを勤めた女性を主人公とするフィクション映画が「アルバート氏の人生(原題Albert Nobbs)」です。主演のグレン・クローズ(Glenn Close)は本作の映画化を30年間あたためて、制作・脚本にも参加しています。物語は生きていくために男性を装って職につかざるを得なかったアルバート・ノッブスの半生を、多くの芸達者な脇役とともに緻密に描写しています。

生活のために余儀なく男装したアルバートですが、同僚のチャーミングなメイド、ヘレンとの結婚を夢想するようになります。爪に火を灯して蓄えたお金なのに、新生活を夢見て彼女に貢ぎます。独りよがりな思いこみは、現代でもストーカー行為として糾弾されますが、同性間ですからより複雑です。変装として始まったアルバートの異性装であって、決して性的興奮を求めるフェティシズム服装倒錯症ではなかったのですが、永年の男性を装った生活が彼女に性同一性障害を起こさせたのかも知れません。いずれにしろ19世紀のヨーロッパ社会の仕組みが生んだ悲劇を描き、観客を考え込ませる名作でした。

性同一性障害は、近年わが国でも認知されるようになった症状です。しかし、その実態、原因についてはまだまだ未知の部分も多いようです。日本での治療は、日本精神神経学会のガイドラインに沿って、精神科領域の治療と身体的治療が行われますが、そもそも根本的治療になるかどうか疑問です。「アルバート氏の人生」にみるように、社会的要因も考慮する必要があるでしょう。高度文明社会にあって、こころ(精神)とからだ(身体)の関係はますます複雑化する一方です。

(2013.4.1)