事業管理者のつぶやき
Chapter29. 虚構と真実
市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆
1981年、航空機事故で亡くなった向田邦子は、脚本家、小説家、随筆家として多くの作品を残し、人間の感情の機微、家族の有り様を描かせては第一人者といっても、あながち間違っていないと思います。存命であれば、もっともっと私たちを楽しませてもらえたのではないかと惜しまれます。今年は彼女の没後30年ということで、書店に多数の著作が平積みされて置かれています。この夏には、「胡桃の部屋」がテレビドラマ化されて、向田邦子ファンを喜ばせました。ヒロインの生き様、それぞれの家族の悩みに同感したり、イライラしたり、すっかり作家や脚本家の術中にはまってしまった視聴者もいると思います。こんなに複雑なシチュエーションをよく創作で書けるものだと思いましたが、妹の向田和子さんの話で、邦子さんの実体験が含まれていると聞いて納得しました。
作家や作曲家や画家をはじめとする芸術家は、創作という名の虚構の世界に生きているようですが、無から有が生まれるわけでなく、何らかの体験・経験あるいはモデルの存在があるようです。また、そのような体験が創作意欲を高めて芸術作品を生むこともあるようです。19世紀から20世紀にかけて創作活動を行ったジャコモ・プッチーニは、「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「トゥランドット」などのイタリア・オペラを作った音楽家ですが、華やかな女性遍歴の持ち主で、それぞれの作品毎に異なる愛人を糧に作曲を続けたといいます。芸術を生み出すにはそのような情熱が必要なのかも知れませんが、映画「プッチーニの愛人」ではオペラ「西部の娘」作曲にまつわって起こった悲劇が描かれています。セリフは必要不可欠なものだけ、絵画のように美しい描写、ピアノで奏でられる心情などイタリア映画ならではの作品です。しかし、ストーリーは創造にかける芸術家のエゴのために犠牲者が出て、命を失うというやりきれない結末を迎えます。
「ひまわり」で有名な画家フィンセント・ファン・ゴッホは星の絵を描いた数少ない画家の一人です。「星月夜」「夜のカフェテラス」「星降る夜、アルル」など夜空を描いた絵が科学の目で検証されています。サン・レミの精神病院に入院中の作品「星月夜」では天空に伸びる糸杉とともに逆三日月と降るような星空が見られます。しかし、この時期、月と星はこの位置関係で見られることは無いことが天文学的に解明されています。同様にアルルで描かれた「夜のカフェテラス」と「星降る夜、アルル」も、前者のカフェに面した広場、後者のローヌ河畔から、この時代にこの位置に描かれた星が見えることはあり得ないそうです。「星降る夜、アルル」の北斗七星は創造の産物であることが証明されます。逆に、最晩年に過ごしたパリ郊外での作品「夜の白い家」の輝く星は、場所と時が特定された結果、金星と断定されました。天文学とコンピューター技術の進歩は、今や百年以上前の地球上から見える夜空をピンポイントで示してくれるようになり、星空が実写か虚構かどうかまで瞬時に判るようになりました。
芸術の世界では、真実に加えて作者の創造する虚構が、その深みを増し、価値を高めると思われます。一方、私たちが従事している医療の世界は、真実の追究が求められています。難病や診断の難しい病気は、証拠を積み重ねて真相に近づくというミステリーさながらの作業が要求されます。虚構はあってはならないのです。したがって、医療行為そのものは科学的根拠の積み重ねに基づいて行うものであり、芸術とはほど遠い存在ですが、院内コンサートや院内ギャラリーなどの芸術作品は、科学と芸術のギャップを埋めて患者に限りない癒しを与えています。
(2011.11.1)