名誉事業管理者(前事業管理者)のつぶやき
Chapter195.さまよえるオランダ人 NEW
市立芦屋病院名誉事業管理者 佐治 文隆
芸文センター恒例の夏のプロデュースオペラに、今年はワグナーの「さまよえるオランダ人(Der Fliegende Holländer )」が上演されました。開館20周年記念そしてプロデュースオペラ20作目という節目の公演になぜワグナーを、というのが最初に浮かんだ疑問でした。リヒャルト・ワグナー(1813ー1883)は確かにドイツオペラ最高峰の芸術家だったと言えますが、他方で反ユダヤ思想の持ち主として知られています。彼の反ユダヤ主義はのちのアドルフ・ヒトラーのナチズムに影響を与えています。ヒトラーはワグナーの音楽をナチスのプロパガンダとして利用し、ワグナーの子孫と親交を持ち、彼らを庇護しました。欧米で多様性を否定し、移民排斥思想が広がり、ヨーロッパで極右政党が勢力を伸ばしている現在この時期に、あえてワグナー作品を取り上げたことに、一抹の不安を感じました。私の杞憂であれば良いのですが。
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思想はともかく、ワグナーが19世紀を代表する作曲家であり、「ドイツオペラといえばワグナー」と言われるだけあって、多くの傑作オペラを世に送り出しています。代表作のひとつ「さまよえるオランダ人」のストーリーは一見シンプルです。海洋伝説の一つ「幽霊船」の中でも、神に呪われ死ぬことも許されないオランダ人船長とその乗組員が悪天候の中永遠に航海を続ける「フライング・ダッチマン(Flying Dutchman)」を下敷きにして「さまよえるオランダ人」船長が登場、呪いを解くためには彼を真摯に愛する女性を見つけなければならない設定です。ディズニー映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのジョニー・デップ演ずる海賊船船長も「フライング・ダッチマン」を模していることは知る人ぞ知るスピン・オフです。幽霊船船長と遭遇し、対峙するノルウエイ船のダーラント船長は世俗的な人物で、幽霊船の財宝欲しさに自分の娘をさまよえる船長に差し出すことも厭わない性格です。娘のゼンタは「さまよえるオランダ人」伝説にどっぷりと浸かっており、自分こそ船長の救済者になる宿命と信じています。ゼンタの狂信的な思い入れを心配する恋人エリックや乳母マリーも絡んで、舞台はフィナーレに突き進みます。
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洋の東西を問わず、恋愛をテーマとする劇作の多くは相思相愛の純愛、あるいはそれが成就しないことによる失恋や葛藤を取り上げています。本作ではさまよえる船長は相手が誰であれ自分を愛して救済してくれる女性をひたすら求めます。ゼンタは船長個人への恋愛感情よりも、恋人を捨ててまで自己犠牲も厭わずに救済者となることに自己陶酔しているように思えます。いわゆる相思相愛の男女の愛ではなく、互いのエゴイズムが先行する展開に少し違和感を感じたのは私だけでしょうか。思うにこれは私が「救済(Erlösung)」の概念を理解していない、さらに言えばキリスト教を深く理解できていないことに基づくためでしょう。キリスト教の教義は、いうまでもなくイエス・キリストの愛の思想と自己犠牲的受難に「救済」の原点を置いているからです。
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「さまよえるオランダ人」の結末はまさに「救済」を象徴しています。ワグナーのオリジナル版では、「ゼンタが幽霊船船長への永遠の愛を誓って海に身を投げる。たちまち幽霊船は乗員もろとも沈没し、海上にゼンタとオランダ人船長の抱き合う姿が浮かび上がり、昇天していく」そして「救済の動機」の音楽が響き渡ります。今回の公演では、ゼンタは海に飛び込まず、ナイフを突き立てて自殺する演出でした。この救済シーンについては色々なヴァリエーションがあり、この楽劇に対する演出家の多種多様な解釈を反映しています。何よりもワグナー自身も改訂を加えています。しかし、なんといっても「救済」そのものの解釈が難解で、「さまよえるオランダ人」の最終場面については古今東西多くの評論、考察がなされています。
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幕切れの難解さはともあれ、本公演の舞台装置や音楽は素晴らしく、開館20周年記念に相応しい出来栄えだと愚考しました。
(2025.8.16)