名誉事業管理者(前事業管理者)のつぶやき
Chapter194.リリー・マルレーンNEW
市立芦屋病院名誉事業管理者 佐治 文隆
私の幼馴染で小学校、中学校、高等学校を通じて同級生だった親しい友人T君は、カネボウ化粧品に入社、広報部長を務めた経験があります。彼の現役時代、1970〜80年代はライバルの資生堂化粧品と熾烈な宣伝競争の最中で、互いにキャンペーンガールを採用、ポスター等の媒体を最大限に利用し、競い合っていました。とくにカネボウ化粧品のキャンペーンガールは女優やタレントへの登竜門として有名だったそうです。夏目雅子や浅野ゆう子、沢口靖子、城戸真亜子がファンデーションや口紅のプロモーションに起用されたのもこの頃です。T君は当時の業界裏話を多少の誇張や自慢話も含めて、面白おかしく巧みな話術で話してくれるので、芸能界に疎い私達はいつも感心して聴くのが常でした。
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対抗する資生堂のサマー化粧品キャンペーンガールに起用されたのが前田美波里です。ハーフの美貌とプロポーションを惜しげもなく晒した水着姿のポスターは大人気で、展示しても次々盗まれて増刷に次ぐ増刷だったといいます。前田美波里はその後ミュージカルの分野に転身、劇団四季をはじめ演劇やCMで今も活躍しています。その前田美波里が福田悠太(ふぉ〜ゆ〜)とタッグを組んで、あのマレーネ・ディートリヒの生涯を語る企画が持ち上がりました。台本・演出は笹部博司、「The Show! マレーネ・ディートリヒ マレーネの人生を歌い踊り語る」です。
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マレーネ・ディートリヒ(1901年〜1992年)はドイツ出身の女優・歌手です。本名Marie Magdalene Dietrichを部分的に取って芸名にし、1930年ドイツ映画「嘆きの天使」に出演、その美貌と脚線美そして世界を魅了した美しい歌声で、国際的に有名になりました。これを機会にハリウッド・デビューを果たし、「モロッコ」「上海特急」「情婦」等に主演しています。母国のドイツはナチス台頭の時期で、ヒトラーはマレーネの帰国を熱望したらしいのですが、これを拒否しアメリカ市民権を得ます。マレーネの反ナチス思想、反戦主義は徹底していて、ヨーロッパ戦線でアメリカ軍の慰問活動を続けました。対独放送でも歌った「リリー・マルレーン」は一世を風靡しました。私よりも一世代前のお話です。
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「The Show!・・・」の舞台では前田美波里と福田悠太が掛け合いでマレーネの半生を語ります。マレーネの代表的な歌「リリー・マルレーン(Lili Marleen)」をはじめ、歌い、踊られる趣向です。「リリー・マルレーン」は兵士が兵舎の外に立つ娼婦への想いを託した歌で、マレーネがナチスに支配された祖国ドイツの兵士に反戦・厭戦を惹起させる思いを込めて、歌い続けました。「♪リリー・マルレーン♪」がリフレインされる哀愁を込めたメロディーは、マレーネを知らない世代でも耳にした人もあるでしょう。彼女の反戦歌はそれにとどまりません。ベトナム戦争時代によく歌われたフォークソング「花はどこへ行った?(Where have all the flowers gone?)」(ピート・シーガー作)を英語、ドイツ語、フランス語でカバーして世界に広めています。ベトナム反戦運動が盛んであった私の学生時代に、「ウイ・シャル・オーバーカム(We shall overcome)」などとともに口ずさんだ歌を久しぶりに聴くことができました。マレーネは1970年の大阪万博に来日し、9月7日グランド・ショーを開催、「リリー・マルレーン」を歌ったといいます。
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マレーネの美しい脚には保険がかけられていたことから「100万ドルの脚線美」と呼ばれたそうです。前田美波里も負けず劣らず美しい脚線美の持ち主で、ミュージカル「マンマ・ミーヤ」でも披露していました。今回も期待したのですが、残念ながらその機会はありませんでした。しかし、舞台の2人がタキシードにシルクハット、ステッキ姿をぴっちり決めて、ピアノの生伴奏をバックに息のあった2人芝居に満足して、芸文センター中ホールを後にしました。

(2025.10.10)