広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter184.芸術は必要か

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

 表題「芸術は必要か」の答えは言うまでもなく「イエス」です。医学教育は理系中の理系ともいえ、数学、化学、物理学、生物学などの学問系統が中心です。医学部学生は教養部を了えると、専門課程ではこれら自然科学の分野をこれでもかと言わんばかりに詰め込まれます。ところがいったん医師になり、臨床に従事して患者を診るようになると、人文科学や社会科学の知識の必要性に気付かされます。少なくとも私はそうでした。

 芦屋病院でも力を入れている緩和ケア医療は、がん患者を対象に終末期だけでなく、罹患した初期から精神的・身体的サポートを行い、苦痛を軽減する目的で行われます。苦痛の緩和に用いられるのは薬剤だけではありません。内服や外用(経皮)、注射などによる薬物療法や疼痛緩和を目的にした放射線治療に加えて、音楽療法や絵画療法なども実践されます。音楽、美術、舞踏など広い意味での芸術を治療的に用いる場合は、芸術療法と定義しています。音楽療法に関しては江戸時代に貝原益軒が「養生訓」の中で、詠歌舞踊が健康維持に繋がるという音楽効能説を論じています。また第一次世界大戦後に傷病兵の心身ケアに音楽療法が取り入れられ、アメリカでは20世紀半ばに音楽療法協会が設立され、わが国でも20世紀末に日本音楽療法連盟(現日本音楽療法学会)が設立されました。「絵画・コラージュ・造形療法」は描画やコラージュ、彫刻等を通して患者治療にあたるもので、欧米ではアート・セラピストが養成されていて、わが国でも日本芸術療法学会が国際表現精神病理学会の支部として活動しています。これらの芸術療法はがん患者治療や終末期緩和治療に限られたわけではなく、発達障がい児や精神疾患患者の診断あるいは結核などの長期療養患者の治療にも採用されます。

 芸術はなぜ必要なのでしょうか。芸術のない世界を想像して下さい。私たちは新型コロナウイルス感染症の爆発的流行で約三年の間、芸術に触れる機会を制限されました。コンサートも美術館も演劇も映画館さえ中止や閉館に追い込まれ、開いていてもガラガラの状態が続きました。私の好きなミニシアターも存続の危機に立ち、クラウドファンディングに頼る羽目に陥りました。芸術から隔絶されたコロナ・パンデミックの数年間は、人々に多くのフラストレーションを生み出したように思います。この時期、芸術を担うアーティスト達も大きな被害を受けました。生活の糧を奪われ、いつ回復できるのかわからない状態になったのですから、その苦痛は察して余りあります。お隣の韓国では、コロナによる危機的状況下での新経済政策を掲げ、韓国式ニューディール政策として雇用の創出を図りました。命名の元になったアメリカのニューディール政策(1933年)では「芸術家支援計画」があり、それも国が計画した一番目のプラン(Federal Project Number One)という名称の支援策でした。その結果、表現活動を続けられた若い芸術家たちは、のちのアメリカの芸術分野で重要な人材に成長したといいます(森村泰昌「生き延びるために芸術は必要か」光文社新書)。

 中国の儒教教典の一つ「周礼(しゅらい)」には、士大夫(上級官僚)が学ぶべき「六芸(りくげい)」に、礼、楽、射、御、書、数を挙げています。二番目に挙げられて重視される「楽(がく)」とは音楽を指します。音楽を含め芸術が如何に人格形成に必要であるかを説いているようです(内田樹「だからあれほど言ったのに」マガジンハウス新書)。

(2024.10.1)