広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter183.蝶々

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

 「似て非なるもの」の一例に「蝶(butterfly)」と「蛾(moth)」があります。この違いがおわかりですか。一般に「蝶」は、①触角の先端部が丸く膨らんでいて、②鮮やかな色彩のものが多く、③昼行性で、④翅を立てて止まり、⑤繭を造らないものが多く、「蛾」と区別されます。もっともヨーロッパ、とくにフランスやドイツなどでは両者をほとんど区別しないようで、フランス語ではどちらも「papillon(パピヨン)」と呼んでいます。日本人の感覚では、蝶は美しく好まれ、蛾は汚くて嫌われているように思いませんか。実際、東宝怪獣映画の悪役「モスラ」の姿は巨大蛾で、その名も「蛾(moth)」由来です。

 美しい「蝶々」の名を持つ日本人女性を主人公にした小説「蝶々夫人(Madame Butterfly)」(アメリカ人ジョン・ルーサー・ロング)が、同じくアメリカ人劇作家(デーヴィッド・ベラスコ)の手により戯曲化され、イタリア人ジャコモ・プッチーニが作曲して同名オペラ「Madama Butterfly」を完成させました。1904年にミラノ、スカラ座で初演されたオペラ「蝶々夫人」は、当時ヨーロッパのジャポニズム・ブームと相俟って、大ヒットしました。長崎を舞台にした日本女性の悲恋物語でもあり、わが国でも上演回数は数知れません。世界的なファッション・デザイナーの森英恵(1926年−2022年)は1985年のミラノ・スカラ座における「蝶々夫人」の衣装を担当、トレード・マークの蝶の模様を施したモダンな衣装で、着物の伝統美を見せています。

 兵庫県立芸術文化センター恒例の佐渡裕監督プロデュースオペラが今年は「蝶々夫人」を取り上げました。「蝶々夫人」は、芸文センター初の夏のプロデュースオペラとして2006年7月に初演されています。今回は18年ぶりに改定新制作された作品ということです。私が観劇したのは、ダブルキャストの一人、迫田美帆が蝶々夫人を演じる伝統ある舞台でした。明治時代の長崎で、没落士族の娘蝶々さんがアメリカ海軍士官ピンカートンと結婚、実はピンカートンにとっては当時の風習でもあった現地妻との偽りの祝言を挙げます。夫に首っ丈の蝶々さんを残し帰国したピンカートンが母国の白人女性の正妻を連れて来日し、蝶々さんを奈落の底に突き落とすというお決まりのストーリーです。三幕の舞台にほとんど出ずっぱりの迫田美帆の熱演に魅せられましたし、ピンカートンとの愛の結晶の子役の可愛い演技もよかったのですが、なんといっても蝶々さんの自害に至る理不尽な悲劇のストーリーそのものは、わかっていても観客の涙を誘いました。これを盛り上げる歌曲の数々、オーケストラの迫力はさすがです。「ある晴れた日に」「愛の二重唱」「花の二重唱」を始めとするお馴染みの歌に加え、「さくらさくら」や「お江戸日本橋」など日本のメロディも転用されます。

 原作「蝶々夫人」は実話のように思っている人もいますが、まったくのフィクションです。しかし似たような話は当時珍しくなかったようですし、時代は前後しますが戯曲、映画にもなった「唐人お吉」は伊豆下田で起った史実を脚色したものです。ストーリーは、芸者お吉がお上の命で恋人と別れさせられ、アメリカ総領事ハリスの身の回りの世話をしました。しかし、ハリスが江戸へ去った後は外国人と交わったということで周囲から蔑視され、最後はやはり自害します。江戸時代末期から明治時代には来日した欧米人の男たちが、日本で娼婦を囲うのは当たり前の習慣だったようで、長崎には家とオンナを斡旋する周旋業者もいたということです。女性蔑視も甚だしい話で、日本人にとっては怒り心頭に発する出来事です。とは言え、わが国の男性が戦前、戦中に大陸で行った所業を考えると偉そうには言えません。

 男女共同参画の観点からの意見はともかく、エンターテイメントとしてオペラ「蝶々夫人」はさすがプッチーニの代表作の一つだけのことはありましたし、指揮、演出ともに素晴らしい感動を与えてもらいました。

(2024.9.1)