広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter182.お盆の果物

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

 まもなく「お盆」のシーズンを迎えます。お盆は「死者が現世に還ってくる」ため、再び戻るあの世で幸せに暮らせるように供養をする宗教的な行事です。サンスクリット語の「ウラバンナ」を語源とする仏教用語の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略でもあります。関西人は、お盆は8月15日を中日とする前後4日間としていますが、実は地方によってお盆の期間は異なります。関東地方や北海道、石川県などでは、7月15日を中日とする4日間ですし、沖縄県や鹿児島県などのように、旧暦7月15日の「旧盆」として毎年お盆の期間が変わる地域もあります。いずれにしろこの時期になると、先祖の霊を迎え、仏壇に供養の品物を供えるのが一般的です。

 お盆のお供えには旬の果物もよく用いられ、それも丸い形状の桃、スイカ、葡萄などが好まれます。桃は中国原産の果樹の果実で、春には美しい花を咲かせます。桃の花に覆われたユートピアを「桃源郷」と言いますが、中国の宋の時代の文学者、陶淵明の詩「桃花源記(とうかげんき)」が出典です。ある猟師が深い渓谷に分け入ると、どこまでも続く桃の花の先に、争いもなく平和に老若男女が楽しそうに暮らす幸せな村を見つけたそうです。桃源郷の夏は実を結んだ白桃、黄桃、蟠桃などの甘い香りに満たされているでしょう。この猟師は再び桃源郷を訪れようとしましたが、結局見つけることが出来ず、その後も桃源郷を探し当てた人はいなかったそうです。猟師の白昼夢だったのかもしれませんし、陶淵明が心の中で築いた理想郷だったのかもわかりません。

 俗に「桃栗三年柿八年」と言う諺もある通り、桃は芽が出てから実がなるまでの期間が比較的短いとされます。この諺は転じて「人が技術や知恵を身につけようと思っても、なかなか一朝一夕にできるものではなく、長い年月が必要だ」という戒めや励ましの意味を持っています。日本人の名数観念では「三日坊主」「三日天下」のように「三」は最も少ない数を象徴して表し、「八」は「八百八橋」「八百八町」のように最も多い数として使われます。「桃栗三年柿八年」には色々なもじりがあります。「串打ち三年裂き八年火鉢一生」は鰻の蒲焼き作りの技術習得の大変さを表します。「首振り三年ころ八年」は尺八をなんとか吹けるようになるまで三年、コロコロという味わいのある音を出せるようになるまで八年かかると、これも技術習得の難しさを示しています。

 このほか「桃栗三年柿八年」の出だしは同じでも、続きの文言をつけたパロディ風の言い回しが各地に伝承されています。たとえば「桃栗三年柿八年、柚子は九年でなりかねる」や「桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年」などです。あるいは「桃栗三年柿八年、女房の不作は六十年、亭主の不作はこれまた一生」については、説明するまでもありませんが、人間が一人前になるまでを表しています。女房は60年かけてやっと一人前になり、亭主の方は一生成長途上にあるとのことです。

(2024.8.1)