広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter179.映画からのメッセージ

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

 寡作で知られるビクトル・エリセ監督の31年ぶりの長編スペイン映画「瞳をとじて」はユニークですが印象的な作品でした。冒頭に劇中劇とも言える映画「別れのまなざし」の撮影中、俳優のフリオが失踪、行方不明になります。22年後に未解決事件を追うテレビ番組の依頼で、監督のミゲルがフリオの関係者としてインタビューを受け、撮影フィルムを回収したり、フリオの娘や恋人に会います。

 物語は淡々と進みますが、この間海辺の住まいで犬と暮らすミゲルの生活が延々と描かれます。まるでエリセ監督の30年以上の沈黙期間もかくやと思わせる平々凡々たる日常ですが、それがえもいわれぬ幸せ感を醸し出しています。私がとくに嬉しかったのは、海辺の小屋で隣人達と酒を酌み交わし、ギターを弾いて歌っているシーンでした。デュエットで歌った曲が、1959年公開のジョン・ウエイン主演西部劇「リオ・ブラボー」で歌われた「ライフルと愛馬」だったのです。映画では悪党ガンマンの襲撃の前夜、保安官補ディーン・マーティンとリッキー・ネルソンがやはりデュエットで歌う「♪My Rifle, My Pony and Me〜〜♪」の哀愁を帯びたメロディが、映画少年だった私の心に残っています。その懐かしい歌がまさかここで聴けるとは思っていなかったのでサプライズでした。エリセ監督も私とそう違わない年代なので、ン十年前にはやはり映画少年だったのだろうと想像し、この上ない親近感を覚えました。

 テレビ番組を見た人からフリオに似た男が老人ホームにいるとの情報を得て、ミゲルは彼の捜索に乗り出します。見つけた男は記憶を失っており、ミゲルは残された未完成の映画を見せることで記憶を取り戻そうと努力します。さて結末は? この作品の圧巻は、中盤の部分に描かれるエリセ監督の私生活とオーバーラップするかのようなミゲルの平常生活の幸せとエリセ監督の映画愛に尽きると思いました。

 日常生活の幸せといえば、映画「PERFECT DAYS」に描かれた役所広司演ずるトイレ清掃員の暮らしでしょう。ドイツ人監督ヴィム・ヴェンダースによるこの作品は、第76回カンヌ国際映画祭で主演の役所広司が最優秀男優賞を取り、一躍話題になりました。主人公平山の判で押したような毎日、日常の繰り返しが彼の平穏で平和な生活を構成していて、充実感、満足感を与えていることがよくわかります。決まった時間に目覚め、同じ手順で支度して、公衆トイレの掃除を黙々とこなします。

 読書を趣味として古本屋に立ち寄ることもあり、車に乗るときはお気に入りの音楽を入れたカセットテープをセットします。古アパートに住み、ストイックとも言える規則正しい生活をおくる孤独な初老のトイレ清掃員は、一見社会の底辺層に思われますが、実は裕福な家の出身で教養もあることが匂わされます。静かな湖面のような暮らしに、リッチな妹の娘が飛び込んで来てさざ波のような出来事が起こります。小さなエピソードを挟みながら、変わらない毎日を過ごすことが平山の「喜び」であり、ヴェンダース監督のメッセージであることが伝わって来ます。昭和の遺物ともいえるカセットテープに加え、フィルムカメラを愛用し、公園で木漏れ日を撮影し、現像した写真をアルバムに整理する。木漏れ日の見せる小さな変化こそが、同じようでも毎日が新しい「Perfect Days(完璧な日々)」の象徴かもしれません。

 平凡な日常の幸せを描いた二作の映画から、戦火の最中にあるウクライナやパレスチナ・ガザ地区の惨状に思いを馳せ、平和を希求するメッセージを強く感じました。

(2024.5.1)