広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter171.ドン・ジョヴァンニ

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

 「◯◯のドン・ファン」と一時はマスコミや週刊誌ネタで有名になった男性の事件ですが、その後日譚はどうなったのでしょう。好色男性の代名詞として使われる「ドン・ファン(Don Juan)」は、17世紀スペインの伝説的貴族で稀代の女たらしであったと伝えられています。男性にとってある意味やっかみの対象とも言えるプレイボーイ「ドン・ファン」は、多くの文芸作品に登場しています。ティルソ・デ・モリーナの戯曲「ドン・ファン・テノーリオ」、モリエールの戯曲「ドン・ジュアン」をはじめとして、バイロン、プーシキン、トルストイ、リヒャルト・シュトラウスなどが戯曲や交響曲を発表しています。モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」もそのひとつで、作曲したオペラ「フィガロの結婚」で成功を収めたモーツァルトに依頼された次の作品で、初演は1787年にプラハで行われました。

 佐渡裕芸術監督がプロデュースする県立芸術文化センター恒例の夏のオペラは、今年「ドン・ジョヴァンニ」を採り上げました。生涯に相手をした女の数が千人とも二千人とも豪語する、いうまでもない色魔が主役です。女と名がつけば老若美醜に関係なく手当たり次第に手を出し、モノにした女を従者レポレッロに命じてカタログに記録させる最低男の主人公で、女たちの恨みを買って酷い罰を受けても不思議ではありません。ところが意外や意外、女たちはそれほど恨んでいないようなのです。少なくとも私にはそう見えました。

 ドン・ジョヴァンニに夜這いをかけられたドンナ・アンナは、見つけた父親の騎士長を殺されます。ドンナ・エルヴィーラはかってドン・ジョヴァンニと結婚して3日で捨てられています。田舎娘ツエルリーナは結婚式の最中にドン・ジョヴァンニに口説かれます。しかし三人が三人ともドン・ジョヴァンニに好意を抱いており、彼を不誠実な生活から立ち直らせようとしたり、浮気を楽しんだりしているようです。父を殺害されたドンナ・アンナですらドン・ジョヴァンニに魅せられて、婚約者に結婚の一年延期を告げるなど婚約者を愛しているようには見えません。確かにモテモテのプレイボーイには騙されるとわかっていても女性が近づきたがる傾向がありますね。若くてハンサムでセクシーでその上大金持ちの貴族とあれば、女性でなくても男でも惹かれますよね。たとえワルでも、いやワルだからこそよけいカッコイイのでしょう。

 今回のモーツァルトの舞台に限っていえばドン・ジョヴァンニの仕掛けた色事は必ずしも成就していません。その意味では喜劇の要素があり、ドン・ジョヴァンニにとっては悲劇であるわけです。またジェンダーギャップを否定する現代にあっては、女性版ドン・ジョヴァンニすなわちドンナ・ジョヴァンニ(?)もありかな、といえます。もっともモーツァルト以外の作品で取り上げられたドン・ジョヴァンニは、キリスト教思想に基づき悪い奴は地獄に落ちる勧善懲悪のストーリーのようです。もちろん今回のモーツァルトのオペラでもカソリックの教えは無視できないのか、石像に姿を変えた騎士長の手によってドン・ジョヴァンニは地獄に落とされます。舞台背景の天国を意味する天空のイメージや教会の祭壇を思わせるしつらえなどは、地獄からのおどろおどろしいコーラスに対比され、主人公の罪深さを強調しています。とは言え、フィナーレでは登場人物が揃って亡きドン・ジョヴァンニを悼み、惜しみ、懐かしんでいる様です。本能のままに生き、昂然と地獄への招待にも応じたドン・ジョヴァンニは悪魔的に人生を楽しんだと言えます。

(2023.9.1)