広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter168.イザベラに注目

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

 いまイザベラ・ディオニシオ(1980年〜)が面白い。イタリア生まれ、ヴェネツィア大学で日本の古典文学研究にハマり、2005年に来日してお茶の水女子大大学院で研究を続けました。現在も古典文学研究を行う傍ら、翻訳業その他でマスメディアにも顔を出すことも多く、ご存知の方もあるでしょう。処女作「平安女子は、みんな必死で恋してた イタリア人がハマった日本の古典」(淡交社、2020)は、今から約一千年前の平安時代の女流文学者たちの日記文学などの作品を俎板に載せて、彼女たちの私生活を縦横無尽に評論しています。何が面白いといって、平安ことばで書かれた原文が「イザベラ流 超訳」で、現代若者ことばに書き換えられていることです。「更級(さらしな)日記」の章で、作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)と実名がないことから、タイトルにちなみ「サラちゃん」と命名しています。文中よく出てくる形容詞「いみじ」について、「良い、素晴らしい」と「ひどい、恐ろしい」の二つの意味があり、今でいう「ヤバい」だと喝破します。そう言えば数年前に女子大生たちのヨーロッパ研修旅行に同行した際、何に対しても彼女らが繰り返す「ヤバイ」「ヤバイ」に閉口した記憶が蘇りました。

 「古今和歌集」の章では、作者小野小町と深草少将の「百夜通い」伝説とイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」に出てくるトトとエレナの叶わぬ恋の寓話の類似性に触れるなど、恋バナは国境を越えて広がります。絶世の美女小野小町については、和歌のやり取りの研究から少将以外に、阿倍清行、小野貞樹、文屋康秀、僧正遍昭、在原業平等々が愛人候補として挙げられています。稀代の魔性のオンナとされる小野小町は一生独身を通しました。それは当時の「バリキャリ」(バリバリ働くキャリアウーマン)だったせいでもあると類推しています。小町は未婚を貫いたことから、実は鎖陰(膣閉鎖)だったという俗説もあり、裁縫に使う「穴のないまち針」は「こまち針」が語源ともいいます。イザベラ姐さんはそのような下品な話はさすがに紹介していません。

 他にも和泉式部「和泉式部日記」、清少納言「枕草子」、藤原道綱母「蜻蛉日記」、二条「とはずがたり」、紫式部「紫式部日記」などが、それぞれ「平安京を騒がせたプロ愛人」、「カリスマ姐さん」、「鬼嫁」、「ダメ男しか掴めない薄幸の美女」、「給湯室ガールズトークの元祖」などのキャッチフレーズで紹介され、ある意味女性たちが最高に輝いた時代が描かれます。全編を通して感じたことは、女性たちが生き生きと恋を楽しんでいるのに比べて、彼女らに翻弄される男性たちがシニカルに綴られています。いつの世も可哀想なオトコたちです。

 そのオトコの傷口に塩を塗るような新作「女を書けない文豪(オトコ)たち イタリア人が偏愛する日本近現代文学」(角川書店、2022)が出版されました。恋愛巧者でモテモテだったと思われる男性作家、それも近現代の文豪に光を当て、私小説と思われる作品から彼らを恋愛音痴と辛辣に批判し、哀れんでいます。俎上に上がる文豪(オトコ)は、森鴎外「舞姫」、徳冨蘆花「不如帰」、田山花袋「布団」、夏目漱石「こころ」、谷崎潤一郎「痴人の愛」、太宰治「ヴィヨンの妻」、遠藤周作「わたしが・棄てた・女」、尾崎紅葉「金色夜叉」、菊池寛「真珠夫人」、江戸川乱歩「人でなしの恋」の10人です。田山花袋の「布団」は堕落していく女子生徒とそれを盗み見る中年文学者の物語ですが、作者、弟子岡田美千代と恋人永井静雄がモデルであることは一目瞭然で、しかも弟子の原稿をパクッて「布団」を書いたという疑惑もあり、弟子に横恋慕した作家が女の残した布団にくるまって、沁みついた匂いを嗅ぐなどという情けない結末です。

 芦屋に縁の深い谷崎潤一郎の「痴人の愛」では、主人公はカフェーで働く15歳の小娘を「理想の女」に育て上げようとしますが、この小説の実在のモデルとして谷崎の最初の妻千代の妹でやはり十五歳のせい子がいて、30歳代半ばの谷崎との恋に千代は悩まされます。この時のトラブルがもとで千代は離婚し、谷崎の友人佐藤春夫と再婚します。世にいう「細君譲渡事件」です。「痴人の愛」の著者はマザコンとロリコンの間をさまようオトコと断定され、平安時代の「源氏物語」や「とはずがたり」のモチーフと類似し、「蜻蛉日記」との類似性も示しています。また「更級日記」のように物語が東から西へと進むと指摘するなど、各所にイザベラの古典文学の知識が見え隠れするのも楽しみです。
情熱的なイタリア女性が浮かび上がらせる日本人の恋愛史は一読に値します。

(2023.6.1)