事業管理者のつぶやき
Chapter165.春うらら
市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆
「うらら」は「麗」と書いて、気持ちのいい様子を表す言葉です。したがって「春うらら」は春霞などまったくない、すっきりと晴れ渡った春の日を表しています。美人をよく「麗人」とも表現しますが、清潔で頭がよく、きちんとした素敵な美人をとくにそう呼びます。長くて寒い冬が過ぎて春がやってくると、誰しもウキウキします。そのトップバッターは、五節句のひとつ「上巳(じょうし)の節句」ひな祭りです。もとはといえば中国の水辺で身を清めて不浄を祓う習慣が、平安時代のわが国で曲水の宴と合体し、人の形に切った紙を川に流し、自身のお祓いをする行事となり、さらに女の子の人形遊びと合わさって、現在のひな祭りとなりました。3月3日の「上巳の節句」を「桃の節句」というのは、ちょうど桃の花が咲く頃であるのと、桃は邪気を祓う仙木といわれるからでしょう。
ひな祭りは女の子のための節句で、雛壇に内裏雛だけでなく官女や随身など多くの雛人形を飾り、大きいものでは7段に及びます。昔のお金持ちの大家では豪華絢爛たる雛飾りも珍しくはなかったようです。芥川龍之介の短編「雛」(1923年)は、明治維新で没落した御用商人の娘の豪華な雛人形が、横浜のアメリカ人に売られていった様子を、年老いて老婆となった娘が回想する物語です。紀の国屋と称した少女の家は代々諸大名の公金を扱う大商店でしたが、江戸から明治へと激動する社会で家業が傾きます。家財道具を次々売り払う生活で、ついには雛人形を手放す話が持ち上がります。少女の気持ちを思いやり、初めは渋っていた父親も覚悟を決め前払いの半金を受け取ります。もう一度人形を見たいとせがむ少女に、「半金をもらったのだから他人のものだ」と父親は冷たくあしらいます。その夜更けに、ふと目を覚まして土蔵を覗くと、雛人形を並べて見入っている寝間着姿の父親を見つけたのです。ただそれだけの物語ですが、裕福な家柄の家族が、愛娘の雛人形まで手放すことになった悲哀が胸に迫ります。芥川龍之介の佳作の一つでしょう。
3月3日は「3・3」を「みみ」と読む語呂合わせから「耳の日」でもあります。耳は音を聴く器官です。何かが訪れるときは必ずと言っていいほど音を伴います。「おとずれ」の「おと」は「音」で、「ずれ」は「連れ」でしょう。昔は気配やうわさもすべて音と言っていました。春もさまざまな音を連れてやってきます。雪解け水の瀬音、ホトトギスの忍び音、木々の葉擦れ、ときめく胸の高鳴り、などなど。さて、耳をすませてください。あなたに聴こえる春の訪れは何でしょうか。
足下で何か聴こえませんか。土の中で冬籠りしていた虫たちが、春の気配を感じて蠢きだします。「蟄虫戸を啓く(すごもりのむしとをひらく)」で、24節気の「啓蟄」初候(3月初旬)です。人間も身体を伸ばして動き始めましょう。「虫が這うよう」といえば、何事も虫のように進み方がノロくて、物事が遅々として進まない状態を指します。動きの鈍い虫は、時として黒豆と見間違えることもあるでしょう。そこから生まれた諺に「這っても黒豆」があります。地上の小さな黒いものを見てAが「虫がいる」とBに言えば、Bが「いや、黒豆だよ」と言い返します。虫だ、黒豆だと言い争っているうちに、黒いものが動き出しました。それでも、Bは「黒豆だ」と言い張り、自分の主張を変えようとしません。「這っても黒豆」とは、Bのように自分の誤りを頑として認めない態度をいいます(槌田満文「四季ことわざ辞典」東京堂出版)。森友学園問題で公文書の改ざん指示を認めなかった某理財局長、加計学園問題で「総理のご意向」を否定した元首相等、「這っても黒豆」はわが政界に掃いて捨てるほどありそうです。
(2023.3.1)