広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter160.医学博士

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

「末は博士か大臣か」という言葉があります。子供の将来を嘱望して、期待を込めて使われる言葉で、明治の初め頃が起源です。維新で武家社会が消滅し、一が政治家になって大臣を目指すこと、二が学問を極め学者になること、三が軍人で大将となることなどと、出世の価値観が大きく変わったことから生まれました。しかし、在任中の功績が評価され国葬で送られる総理大臣であっても、いわゆる「モリ、カケ、サクラ」問題が種々の疑惑を呼んで取り沙汰されるなど、「大臣」が果たして今も子供たちの憧れの的かどうかは疑問です。一方「博士」の方は、わが国のノーベル賞受賞者の多くが博士号保持者であるのは事実ですが、授賞はあくまで優れた研究内容に対してであって、「博士」は必要条件ではありません。「末は博士か大臣か」はもはや死語と言われる所以でしょう。

私たちの医療分野のジョークに、「学位(博士号)は足の裏に付いたメシ粒」という表現があります。そのこころは「取らないと気持ちが悪いが、取っても食えない」です。大学病院で一定期間、研究や診療に従事する医師の多くは学位を取得し、「医学博士」になります。したがって「博士」の中でも「医学博士」の数は圧倒的に多いのですが、収入等には結びつきません。「取っても食えない」わけです。かく言う私も「取らないと気持ちが悪い」ので学位は修得しています。私の学位記は山村雄一大阪大学総長より授与されました。授与式では多数の医学博士に混じって一人の法学博士がおられ、大阪大学法学部教授を定年退官後にライフワークを完成させた論文で学位を修得されたとのことでした。山村総長は挨拶でこのことに言及され、文科系の学位の重みを医学博士たちに示され、今も記憶にしっかりと留まっています。

私自身は名刺に「医学博士」を記載しておりませんが、英文の名刺にはM.D.(Medical Doctor,医師)とPh.D.(Doctor of Philosophy,博士)を加えています。欧米ではM.D.のハードルが高いので、M.D.> Ph.D.の感じで、「M.D.で十分なのにPh.D.まで持っているのか」と不思議がられたこともあります。いずれにしろドクターの肩書きはかなり尊敬してくれます。英語で挨拶や呼びかけの際に、相手の名前と敬称を使うのは丁寧な言葉遣いになります。名前がわからなくても職業がわかっていれば、言葉の最後に「Nurse」「Doctor」などと付け加えると敬語になります。もっともこれも何でもかんでもそうかといえば、必ずしもそうではないのが英語とくにイギリス英語の難しいところです。(新井潤美著「英語の階級―執事は『上流の英語』を話すのか?」講談社選書メチエ)

イギリスでは同じ医師でも内科医と外科医では敬称が違います。内科医は「ドクター(Dr)」ですが、外科医は「ミスター/ミセス/ミス/ミズ(Mr/Mrs/Miss/Ms)」と区別されます。中世では理髪師が歯科医や外科医を兼ねていて、内科医は大学で医学博士を取っていたことから、内科医が外科医より地位が上に見られていた名残かもしれません。しかし18世紀後半には外科技術が飛躍的に進歩し、同時に外科医の地位も向上し、今では外科医の「ミスター」は誇るべき敬称となっています。したがってイギリスで医師に話しかけるときは「ドクター」「ミスター」の使い分けでプライドを傷つけないように注意しなければなりません。その点「◯◯先生」と言っておけば間違いのない日本は楽ですね。もっとも「先生と言われるほどの馬鹿でなし」とも言いますが・・・。

(2022.10.1)