広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter158.情熱

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

昨年11月に、作家で尼僧の瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美)が99年の生涯を終えました。夫と3歳の娘を家に残し、「小説家を目指すから」と言って年下の愛人のもとに奔った彼女は、その後も妻子ある小説家との不倫をいくつか繰り返し、生々しい恋愛体験を描いた小説など、純文学とはほど遠い恋愛小説・伝記小説多数を出版しました。作家の故井上光晴との不倫関係を絶とうと、51歳で得度、僧籍に入ります。井上光晴の娘でやはり作家の井上荒野は、両親と寂聴の三角関係を書くことを寂聴が快く了承し、小説「あちらにいる鬼」を著したと語っています。取材の過程で寂聴に荒野が父親のどこが好きだったのか尋ねたところ、「人を好きになるときっていうのは雷が落ちてくるみたいなものだから。理由なんかないのよ。どうしようもないのよ」と答えたそうです。林真理子の近著「奇跡」は、写真家田原桂一と梨園の妻博子の不倫を実名で描いた小説として話題ですが、彼の言葉「僕たちは出会ってしまったんだ」に通じると思いました。恋愛に関する至言でしょうか。

晩年の寂聴と懇意にしていたディレクター中村裕が17年に亘り密着し、撮影、ナレーション、監督を務めたドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」が公開されました。ここで赤裸々にされる本音の寂聴は、一口で言えばチャーミングな女性です。僧侶であっても恋心を忘れない、法話も世俗を交えた本音トークです。配偶者や愛する人に先立たれ、嘆き悲しみにくれる人には「肉体はいなくても魂はあなたに寄り添っているのよ。あなたが悲しむと魂も悲しむから元気を出しましょう」と励まします。一方で「悪口を言っちゃいけない。でも悪口を言いながら食べるご飯はめちゃくちゃ美味しい」などと言い、超高齢化社会を迎えて「昔は三途の川を一人ひとり渡し舟で渡ったけれど、今はフェリーでみんな一緒に渡るのよ」などユーモアたっぷりの講話です。

密着取材ですから中村裕との食事シーンも頻繁に出てきます。驚くのは90歳をゆうに越えていても寂聴の健啖ぶりです。それもすごい肉食モリモリで、文字通りの肉食系人間です。お寿司だってイクラ、ウニ、トロに手が出ています。このエネルギーが長寿と明晰な頭脳を支えてきたのでしょう。食欲への情熱とともに恋愛への情熱もまた彼女の人生の源でした。「人間が成長するのは恋愛」「人は愛するために生きてきた」「究極の愛とはあげっぱなしの愛だ」いずれも寂聴の金言です。

ドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン(AUDREY MORE THAN AN ICON)」もまた愛を求めて彷徨った美貌の女優の素顔を描いています。24歳で初主演した「ローマの休日」でアカデミー賞主演女優賞を獲得、一躍トップスターに躍り出たイギリス人女優オードリーは、幼少期に両親が離婚、父親に捨てられた思いがトラウマとなって、彼女の私生活に影を落としていたように思われます。清純な美しさで世界中から愛された彼女ですが、私生活では実は愛に恵まれなかったことが明らかにされ、ここでも「愛」が人生のキーワードとなっています。最初の結婚相手、12歳年上のアメリカ人俳優メル・ファーラーとは14年後に離婚していますが、夫の支配的な言動が破局の原因と言われます。その後、今度は10歳年下のイタリア人精神科医アンドレア・マリオ・ドッティと結婚するも、夫の多数の女性遍歴がもとで離婚します。オードリーは二度の結婚でいずれも男の子を得ていて、息子たちには深い愛情を注いでいます。彼女は女優よりも母親であることを切望し、家族の絆を熱望し、愛を渇望していたと考えられ、現実とのギャップが破綻を繰り返すことになりました。

晩年、オードリーはユニセフ親善大使として活躍したことはよく知られています。パパラッチに追われることなく、スイスで平穏に暮らし、難民救済に情熱を注いで、万人に惜しみなく愛を与えたこの時代が、1993年永眠した世界の恋人オードリー・ヘプバーンにとってもっとも幸せな時だったでしょう。

(2022.8.1)