広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter157.聞く力、聞き出す力

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

物理学者の寺田寅彦は、「眼はいつでも思った時に閉じられるように出来ている。しかし、耳は自分で閉じられるようには出来ていない。なぜだろう」と疑問を投げかけています(随筆集「柿の種」)。生物の進化が合目的的であるとすると、人は常に物音が「聞こえている」状態であることが生存に有利であったからかもしれません。ところで「聞く」と「聴く」はどう違うのでしょうか。後者は意識的に「きく」場合に使い、英語の「listen」のイメージで、前者は「hear」の感じでしょうか。日本語では両者とも「聞く」で通用しています。もっとも私自身は「聞」と「聴」を使い分けるよう心がけています。同様に「見る」についても観劇や映画鑑賞は意図的に「観る」を用いています。

「聞く力」(文春新書)といえば、作家でエッセイストの阿川佐和子のベストセラーで、週刊文春の対談連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」をはじめインタビュアーの経験を生かしたノウハウが山積です。「質問は三つ用意する」「観察を生かす」など35のヒントが挙げられています。その阿川さんにインタビューして聞き出した話などをまとめ、毎日新聞編集委員の近藤勝重が「聞き出す力」(幻冬舎)を出版しました。近藤さんは毎日新聞の近藤流健康川柳の選者で、軽妙な選評でも知られますが、阿川さんからは「上手な叱り方」を聞き出し、「借りてきた猫」論を紹介しています。

[か]感情的にならない
[り]理由を話す
[て]手短に
[き]キャラクターに触れない
[た]他人と比べない
[ね]根に持たない
[こ]個別に叱る
だそうですが、阿川さんはマニュアルに頼らず自分で判断することの重要性を強調したそうです。「聞き出す力」には、「相槌を打つこと」「聞き出すのは教えてもらうということ」など、敏腕事件記者時代の秘話も踏まえて解説されています。

本年度アカデミー賞作品賞等を受賞した映画「コーダ あいのうた」のCODAは「Children of Deaf Adult/s」の略で、「両親のひとり以上が聴覚障害を持つ、聴こえる人」を意味します。両親と兄の4人家族でただ一人健聴者の高校生ルビーは、幼い頃から家族の通訳の役目を果たし、家業の漁業も手伝っていました。学校のクラブ活動で入部した合唱クラブで、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき名門音楽大学への受験を勧めます。しかし娘の歌声が聞こえない両親は家業が続けられなくなると大反対、ルビーの願望と家族愛の葛藤の中ストーリーはクライマックスに進みます。ここからはネタバレですが、ハッピーエンドを迎える心温まる映画であったことをお知らせします。たとえ物理的に音が聞こえない聾者においても、愛が心に歌声を聴かせてくれる感動を得ました。

一方、世の中には聞こえていても聴こうとしない人、いやオッサンたちがいることを暴いたのが、大阪芸術大学准教授で法学者の谷口真由美です。著書『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館新書)で、父が強豪近鉄ラグビー部で活躍した縁で、請われて日本ラグビー協会理事や新リーグ法人準備室長を務めたにもかかわらず、リーグ開幕直前に退任、超保守的なおっさん社会で経験した「部外者に対して聞く耳持たず」の実情を、大阪弁で赤裸々に暴露しています。まさに「聞こえても聴こえず」の好事例と思い、映画「コーダ あいのうた」の家族の反面教師として取り上げました。

(2022.7.1)