広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter156.女のいない男たち

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

第94回アカデミー賞の授賞式では、主演男優賞のウィル・スミスがプレゼンターのクリス・ロックに暴力を振るって唖然としましたが、わが国ではなんといっても濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が国際長編映画賞受賞の快挙が話題をさらいました。同作は日本アカデミー賞を総なめに受賞したほか、カンヌ国際映画祭、全米映画批評家協会賞など国際的にも有名な各種映画賞諸部門にノミネートあるいは受賞するなどしてきました。今回のアカデミー賞でも作品賞をはじめ4部門にノミネートされ、日本映画としては2009年以来となる国際長編映画賞に輝きました。私は受賞前の2月初めに映画館で観ましたが、観客も十人未満で、寂しい限りでした。それが受賞後は興行成績チャートの上位に躍り出るなど、さすが本場アカデミー賞の威力を見せつけられました。

本作は村上春樹の同名短編小説を映画化したものです。私はたまたま原作を含む短編集「女のいない男たち」の初版本を2014年に購入し読んでいました。映画を観た後に読み直しましたが、「ドライブ・マイ・カー」から主要人物や骨子は採用しているとはいえ、同じ短編集に収められた「シェラザード」「木野」の内容もおり混ぜ、濱口監督の創作といってもいい作品に仕上がっています。ここでは最近の村上作品、「1Q84」「騎士団長殺し」にみられるパラレルワールドもなく、どちらかといえば映画化された「ノルウェイの森」に近い感じでしょうか。ハルキストの意見を聞きたいところです。

ストーリーは、舞台演出家の家福(かふく・西島秀俊)と雇われドライバーみさき(三浦透子)を中心に、家福の亡妻音(おと・霧島れいか)の不倫相手の俳優高槻(岡田将生)が絡み、広島国際演劇祭で家福が演出する多言語劇「ワーニャ伯父さん」の制作過程が描かれます。もう一つの主役は家福の愛車の真っ赤な初代サーブ・900でしょう。ちなみに原作では黄色のコンバーティブルタイプでした。演劇の制作過程では台本に従ってセリフを棒読みするシーンが出てきます。多言語劇ですから、韓国人は韓国語、台湾人は台湾語、日本人はもちろん日本語で、韓国手話言語も出てきます。出演者がセリフを棒読みする脚本の読み合わせから入るのは、濱口監督が実際の映画制作でも用いている手法のようです。

妻との情事を目撃していたにもかかわらず、あえてオーディションで合格させた高槻と家福の緊張関係、初めは疎遠だったドライバーのみさきと家福がだんだん心を許し、お互いの過去を打ち明けるようになる様子など、アクションのほとんど見られない会話劇のように物語は進んでいきます。観客もストーリーをフォローするのにかなり緊張を強いられます。それも上映時間3時間です。この映画のロケ地には、私の前任地であった広島県呉市を含め、広島市や東広島市などが選ばれ、広島フィルム・コミッションの全面的支援を得ています。懐かしい馴染みのある風景を画面で散見できました。広島をロケ地に選んだ濱口監督はその意図を、「ドライブ・マイ・カー」は妻を亡くした男の「再生」の物語であり、原爆から復興・「再生」した広島との共有点があると語っています。

この映画を観るのは正直言って疲れます。エンタメ性がほとんどなく、頭を使い続けなければいけない時間が続きます。しかも謎の多い組み立てなので、一筋縄ではいきません。予習・復習を繰り返して、何回か鑑賞しないと理解・解釈に苦しむ作品ではないでしょうか。たとえばエンディング・ロール直前のラストシーンひとつとっても、「なぜ、みさきが韓国にいたのか?」について多数の観客がネット上で考察を加えています。推して知るべしです。あなたのご感想はいかがでしょうか。

(2022.6.1)