広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter15. ぶれる

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

今年上半期にもっともよく使われた言葉のひとつが「ぶれる」ではないでしょうか。普天間基地問題で揺れ動く前首相の発言は、「ぶれる」を流行語に押し上げました。これまでも政治家の食言は珍しくありませんでした。しかし、マニフェストで大見得を切った鳩山前首相によるその後の発言は、二転三転、四転五転ととどまるところを知らず、ついには退陣、首相交代となってしまいました。この間の野党の追及、マスコミの非難は激しく、前首相と民主党の支持率は大きく低下しました。菅首相の登場は期待と反動もあってか、支持率が一転反発しましたが、参議院選挙さなかの消費税を巡る発言で、改選前議席を大きく割り込む惨敗を喫したことは記憶に新しいところです。菅首相の発言の問題点は、消費税を話題にした説明不足や唐突さもさることながら、世論の反応を見て、これまた二転三転と方針がぶれたことではないでしょうか。改選後の国会における党首討論では、野党から案の定「ぶれた」「ぶれた」と攻められています。前車の轍を踏んでいるとしか思えません。

一方、マスメディアの動きはどうでしょうか。常に政権に対して批判的な立場を崩さず、政策が順調に進まないと「それ見たことか」と、まるで揚げ足取りの論調です。もちろん権力者への批判は、自由主義、民主主義の根幹をなすものであり、批判を封じるようなことはあってはなりません。しかし、メディアの流れを見ると、こちらも結構「ぶれている」ことが少なくありません。最近の極端な事例は、サッカーワールドカップ前後における日本代表チーム岡田監督への評価でしょう。手のひらを返したというのはこのことか、と思うくらい180度の「ぶれ」でした。世論を紹介するだけでなく、誘導する力をも持つ報道関係者においても、「ぶれ」を極力無くすことが要求されます。もっとも、同僚、友人、上司、親族など周りを見回してみても、「ぶれない」人などほとんど存在しないのが現実でしょう。かく言う私自身も、胸に手を当てて考えてみると、過去に「ぶれた」事柄がいくつもあって、えらそうに言えません。

医療の世界でも「ぶれ」はあります。たとえば入院時の診療方針は、医学的説明を受けた上で、患者が決定するのが通常です。説明を行う前には、医師をはじめとする医療者は症例検討会で討議し、多職種の専門家による検討を重ねて、診療内容を提示するよう心がけています。この場合、私たちが薦めるもっとも普遍的な診療方針を説明することもあれば、治療法に関するいくつかの選択肢を提示する場合もあります。決定にあたって、患者や家族は他の専門医の意見を仰ぐこと(セカンドオピニオン)も可能です。ところが、病気の場合は経過とともに病状が変化し、必ずしも最初に決定した治療方針が適応しない事態が出現することがあります。一例を挙げると、手術可能と思われた腫瘍が、症状の進行によって、化学療法や放射線治療に変更される場合がそうです。この場合の方針変更が、時と場合によっては「ぶれ」と受け止められかねません。しかし、このような「ぶれ」は患者の利益を第一に考えた結果ですので、容認されるべきものでしょう。

患者、家族、医療者がスクラムを組んで、「ぶれ」を臨機応変の対応と理解しあう、患者中心医療の時代が到来しています。医療界と政界の大きな違いかも知れません。

(2010.9.1)