広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter145.和紙

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

人類の発展は、絶え間ない進化と蓄積の繰返しによって得られた文化や文明を継承することで、成し遂げられてきました。継承の手段に用いられたのが古くは絵画であり、文字ということができます。とくに文字は紀元前8千年ごろにシュメール人によって生み出され、まず数を数えるためのトークンが、次いで紀元前3500年ごろにトークンの象形文字が粘土板に刻まれ、のちに音声を表す記号が生まれて、紀元前1500年ごろにアルファベット文字の誕生に至ります。一方筆記用具としては、粘土板に印をつけるための尖筆(stylusスタイラス)に始まり、葦(アシ)の筆やペン、そして紀元前100年ごろにはインクを使って書く羽根ペン、さらにローマ人は1世紀ごろに金属のペン先を使っていたといいます。

文字を書く「紙」を初めて作ったのは中国宮廷の官吏、蔡倫(さいりん)で、紀元105年に紙の製法を記述しています。それまで古代エジプト人は「パピルス」(つぶした葦)、ギリシャ人やローマ人は「羊皮紙」(死んだ動物の皮)、メソアメリカ人(マヤ・アステカなど)は「アマテ」(手を加えた樹皮)などに文字を書いていましたが、「紙」はこれを構成する繊維質の特性が製造過程で根本的に変化するため、パピルス、羊皮紙、アマテとは本質的に異なり、優れた特性を持っていました。蔡倫による紙は「蔡候紙」といわれましたが、その後も改良され、唐時代には竹や樹皮を主原料とした紙がもっぱら作られました。7世紀には中国から日本に製紙技術が伝わり、この技術が改良されて日本独特の「和紙」が生まれました。

和紙は洋紙に比べて繊維が一般的に長いため、強靭で保存性にも優れ、書物以外に種々の用途に使用されます。和紙の原材料には麻、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、檀(まゆみ)、三椏(みつまた)などの植物繊維が使われます。和紙の産地は広く分散していて、北は岩手県から南は沖縄県まで全国各地にそれぞれ命名された紙があります。「杉原紙(すぎはらがみ)」が兵庫県原産といわれ、また西宮市名塩では「名塩紙(なじおがみ)」という生漉きの雁皮紙を生産しています。徳島県拝宮那賀町では「拝宮和紙」という伝統の和紙作りが、唯一の手漉き和紙職人中村功さんの工房で行われています。楮の繊維を絡ませてしっかりした厚手の拝宮和紙はふすまや障子などにも使われますが、掛け軸や絵画のように壁に掛けるのもいいでしょう。拝宮手漉き和紙の便箋、封筒なども味があります。

拝宮和紙が持つ伝統を守る中村功さんと、自然環境を重視する近代的な概念でインテリア・アートを追求する江藤徳晃・恵美(えとうのりあき・めぐみ)夫妻がコラボして「和紙 伝統と未来」展覧会を開催されたと聞いて、新緑の六甲山上のギャラリーにクルマを走らせました。ガラスデザイナー徳晃さんと和紙デザイナー恵美さんの作品も素晴らしく、とても紙でできているとは思えない数々の展示を徳晃さんのご案内で楽しむことができました。3Dプリンターを駆使しての作品とのことで、まさに「伝統」と「未来」の融合でした。

会場のギャラリーは旧六甲山ホテルで、イメージを保ったまま美しくリニューアルされていました。正面玄関の階段やマントルピースは旧館に帰ってきたようで、こちらも「伝統と未来」の融合です。歴史と伝統の面影を残すロビーを眺めて、阪急電鉄創業者の小林一三さんが避暑に来られていた頃にお見かけしたのを思い出しました。

(2021.7.1)