広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter132.学生が燃えた時代

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)騒ぎで緊急事態宣言が出る少し前に、ミニシアターで「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観ました。川端康成と同時期にノーベル文学賞候補にもなった右翼作家三島由紀夫が東大全共闘(東大全学共闘会議)1000人の学生を相手に行った討論会を、当時の参加者・関係者や現代の評論家などへのインタビューを交えて映像化したドキュメンタリー映画です。1968年に大学の民主的運営を求めて全国的に拡がった学生運動は、権威の象徴である東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠し、1969年1月に警視庁機動部隊と安田講堂攻防戦を繰り広げ、ついに陥落しました。学生運動史に残る最大の武闘のひとつです。三島と東大全共闘との討論会は、この年5月に東大駒場キャンパス900番教室で開催されました。

私自身は恥ずかしながら三島の作品を読みこんだこともなく、超右翼のナルシスト作家くらいのイメージしか持っていませんでした。先鋭的な左翼学生が集合する、言わば敵地に単身乗り込んだ三島由紀夫は「カッコイイ」の一語につきました。極端な天皇崇拝主義である、その思想・信条には私も決して同調できるものではありませんが、学生たちの質問や揶揄にもにこやかに笑って丁寧に答える様子は、少なくとも紳士であり「大人」を感じさせ、想像以上に魅力的な人物でした。だからこそ是非はともかく私設軍隊「楯の会」を組織できたのかもしれません。しかしながら討論会は所詮水と油の思想のぶつかり合いで、互いに相手を論破できるわけもなく、議論は平行線をたどりました。

この映画で印象的だった人物の一人が全共闘随一の論客といわれた芥正彦です。幼児を肩車して舞台上で三島と対峙する芥は極めて個性的で存在感があり、現在も劇作家、演出家、俳優、舞踏家、詩人などの肩書きを持つのも頷けます。私の拙い感想ではありますが、芥はもちろんのこと対極にある三島もそれぞれの持つ自身のイメージや理想像を演じていたのではないでしょうか。1970年11月、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決しました。完成した映画を観た芥が「これで三島由紀夫も浮かばれる」と語ったのは、論敵ながら三島に敬意も持っていたことを窺わせます。

私は1968年に大阪大学医学部を卒業しました。当時、医師免許取得前に無給で働くインターン制度や白い巨塔に代表される封建的な医局制度に反対し、青医連(青年医師連合)が結成されていて、私たちの学年もこれに参加し、御堂筋や四ツ橋でデモを繰り拡げました。東大、京大などは学園封鎖まで起こりましたが、阪大ではそこまで過激ではありませんでした。とは言え要求貫徹を目指して、クラス全員が一致団結し医師国家試験をボイコットするなど、今の学生たちからはおそらく考えられないような行動もとりました。学生運動の過程で医療の将来やあり方を真摯に議論した影響は、私のようなノンポリ(non-political)学生にも少なからぬ影響を与えたように思います。

級友たちは卒業後、学者、教育者、病院・診療所運営、医師会活動などそれぞれの道に進んでいきましたが、青医連運動の精神は失っていないと信じます。産婦人科における青医連のオピニオンリーダーであった久靖男君は、今も現役産婦人科医として診療所で分娩を取り扱っています。彼が追い求める理想のお産のあり方についての集大成とも言える著書を送ってきてくれました(「時代おくれのいいお産 あなたと赤ちゃんにとってのいいお産を考えてみませんか」現代書館2020年)。学生時代の熱い思いを忘れない友人を持ってしあわせです。

(2020.6.1)