事業管理者のつぶやき
Chapter127.ネズミの時間
市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆
オリンピック・イヤーの今年は子年です。ネズミといえば人間にとって害獣の筆頭にもあげられる身近な哺乳類です。ネズミが媒介する病原菌は数知れずありますが、何といってもペスト菌が著名でしょう。14世紀のヨーロッパで「黒死病」と呼ばれ、人々を恐怖に陥れたペストはペスト菌を媒介するノミがネズミやヒトに感染させて、ついには中世ヨーロッパの人口の3分の1が死亡しました。寓話「ハーメルンの笛吹き男」が報酬を求めて街のネズミを溺死させて退治したのは、ハーメルンの人々のペストへの恐怖からだったのでしょう。しかし約束を違えて報酬を渡さなかったために、130人もの子供達が笛吹き男に拉致されてしまったのです。現在もなお行方不明になった子供達の事件は謎に包まれ、いろいろな解釈がなされています。
ペスト菌にとどまらずネズミが介在する感染病原体には、サルモネラ菌、チフス菌、ストレプトバチルス菌、レプトスピラ菌、ハンタウイルス、E型肝炎ウイルス、ツツガムシリケッチアなど数多くあり、食中毒をはじめ腎症候性出血熱、ワイル病など致死率10%以上の感染症を引き起こします。ことほどネズミは嫌われ、馬鹿にされるようで、盗人を「頭の黒い鼠」と表現したり、どこにも悪人はいるとのたとえに「家に鼠、国に盗人」を使います。また英語のことわざでも「The mountains have brought forth a mouse」は文字どおり「大山鳴動して鼠一匹」で、「Burn not your house to scare away the mice(鼠駆除するために家焼くな)」は「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」に該当します。しかし、ネズミもあまり追い詰めると「窮鼠猫を噛む」例もあるのでご用心、ご用心。
いずれもネズミ科ですが、英語圏ではラット(rat)とマウス(mouse)の使い分けはほぼネズミのサイズでなされているようです。どちらも動物実験用に目的にそって近交系で飼育されます。モルモットも動物実験に使用され、こちらはテンジクネズミ科に属しています。ディズニーランドのミッキーマウスやミニーマウスを除いては嫌われ者のネズミですが、医学研究の分野では貴重な存在です。なんといっても成長が早く、結果が出しやすい点が挙げられます。本川達雄氏の有名な「ゾウの時間・ネズミの時間」によれば、哺乳類の心臓は一生の間にだいたい15億回打つという計算になり、マウスは1分間に6〜700回で1回の心周期は0.1秒以下で、寿命は2〜3年です。ゾウの心周期は3秒で70年くらい生きます。マウスはライフサイクルが短いだけでなく、月経周期も4日間、妊娠期間もハツカネズミと呼ばれるくらい20日間なので、実験材料にもってこいなのです。
私が大学の研究室にいた時代には、マウス、ラット、モルモットにはずいぶんお世話になりました。異種の近交系マウスを交配させ、種々の処置を加えて胎仔への影響を観察したことがありました。排卵周期が短いので、複数のメスマウスの入ったケージに一匹のオスマウスを入れてハレム状態にしてやると、翌日には必ず妊娠マウスができて実験がはかどります。マウスに静脈注射をするときは尻尾の透けて見える細い血管から針を刺していましたので、注射が上手くなって人間が相手のときは楽でした。多いときは500匹くらいのマウスの世話をしてダニにも悩まされましたが、今となってはネズミさんに感謝です。
(2020.1.1)