広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter125.駐車場の王様

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

イギリスを代表する劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564−1616年)は約40本に上る戯曲を執筆したといわれます。シェイクスピアの戯曲といえば、なんといっても「ハムレット」「オセロ」「マクベス」「リア王」の四大悲劇が代表的ですが、喜劇のジャンルでも傑作をものにしています。その一つ「お気に召すまま(As You Like It)」の翻訳劇が、この夏から秋にかけ東京を皮切りに各地で公演されました。熊林弘高演出、満島ひかり・真之介姉弟らが出演する恋愛喜劇です。熊林シェイクスピアでは舞台のアーデンの森を、人間のあらゆる性的欲望がうごめく空間と解釈し、LGBTをも超える多様な性のあり方に挑んだ作品となりました。すぐれた人間観察眼の持ち主であるシェイクスピアの作品を、これも人間の情動を鋭く描いてきた熊林弘高の解釈で創られた舞台は、難解ですが一見の価値がありました。(満島ひかり、かわいい!)

シェイクスピアには、悲劇、喜劇に加えてイギリス王室に題材をとったいわゆる史劇のジャンルの作品が少なからずあります。なかでも「リチャード三世」は表題作の主人公だけでなく、「ヘンリー六世 第3部」にも登場するなど一見関心があるように見えますが、実はとんでもない不具者として差別用語で表現され、醜い悪者として描かれています。リチャード三世は王室の権力争いともいえる薔薇戦争で戦死(1485年)、テューダー朝が樹立されました。リチャード三世が、シェイクスピアの描くほど本当に異形の悪人であったかどうかは謎に包まれていました。

シェイクスピアがリチャード三世を描写した背景には、思想家トマス・モア(1478−1535年)が記した「リチャード三世史」を参考にした可能性があります。この書物のリチャード三世の身体的特徴が、のちにシェイクスピアが描くリチャード三世像と類似しているからです。トマス・モアがテューダー朝下で取り立てられ、出世したことを考慮すると、リチャード三世の容姿をひどく貶めたのも納得できます。トマス・モア同様にテューダー朝の庇護のもとに過ごしたシェイクスピアにとって、現王朝が倒した前国王を悪しざまに書くことは、ある意味保身であった可能性もあります。

ではなぜリチャード三世の詳細が不明だったのでしょうか。実はリチャード三世の遺体はグレイフライヤーズ修道院に一度埋葬されたのちに、テューダー朝のヘンリー八世がこの修道院を解体し、前々国王の遺体を紛失させていたのです。遺体があれば少なくとも骨格から、シェイクスピアが表現するような醜悪な体型の人物であったかどうかは判るはずです。時代は大きく下って2012年に、イングランド中部のレスター市内の駐車場で発掘された人骨が、リチャード三世であることが強く示唆され、この人骨は「駐車場の王様(King in the car park)」と命名されました。予想に違わず翌年DNA 鑑定の結果、「駐車場の王様」はリチャード三世と断定されたのです。(石浦章一「王家の遺伝子 DNAが解き明かした世界史の謎」講談社)

私たちの遺伝子を構成するDNAには、4種の塩基配列からなるある特定の配列が繰り返し続く「マイクロサテライト」と呼ばれる箇所が複数あります。私たちは必ず父親由来と母親由来のDNAを持つことから、両者に含まれるマイクロサテライトの繰り返し数の差異を解析することによってDNA鑑定が行われます。鑑定に使用するマイクロサテライトを複数にすることにより、精度が高まります。こうして決定したリチャード三世の遺骨は、シェイクスピアたちが描くほど醜悪な不具がないという意外な事実が発見され、勝者によって書かれたフェイク・ストーリーだったことが明らかになりました。

(2019.11.1)