事業管理者のつぶやき
Chapter122.立場変われば
市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆
第二次大戦後のドイツは東西に二分され、東ドイツはソ連の支配下にありました。とはいえベルリンの壁が出来る前は、列車で西ドイツに行き来することが可能でした。「僕たちは希望という名の列車に乗った」(原題Das schweigende Klassenzimmer)は、そのような時代(1956年)の東ドイツの高校生たちの勇気ある行動を描いたドイツ映画です。西ベルリンの映画館でハンガリー市民が自由を求めて蜂起し、犠牲者が出たニュースを見た主人公たちテオとクルツが、純粋な気持ちで級友たちに呼びかけ2分間の黙祷を行ったことが大事件に発展します。
この黙祷は社会主義国家への反逆とみなされ、当局はあの手この手で首謀者の特定、あぶり出しにかかります。連帯感からなかなか口を割らない高校生に業を煮やし、ついには国民教育大臣が直接弾圧的な尋問に乗り出す事態となります。「一週間以内に首謀者を差し出さないと退学だ」と宣告され、密告してエリートの道を歩むか、信念を貫いて大学進学を諦め労働者階級に甘んじるか、生徒たちは究極の選択を迫られます。生徒本人だけではありません。家族にも当局の重圧は情容赦なくかかってきます。親族が大戦中にナチの協力者であったことが暴露されるなど、社会主義政府挙げてのイジメがこれでもかと襲いかかります。一方では子供の幸せを願う親のエゴと葛藤も描かれ、実話ならではの緊迫感を生み出します。
観客は当然主人公たちに思い入れし、ハラハラドキドキするわけですが、考えてみれば悪役の大臣、役人、教師たちも、彼らそれぞれの立場としては政権に忖度して当然のことを真面目に遂行していたにすぎないのです。自由主義国家と社会主義国家への分断、その少し前にはナチ帝国主義と反ユダヤ主義による抑圧と、運命に弄ばれるドイツ国民の姿は、第二次世界大戦時のアジアの姿とも重なります。
ユダヤ系イギリス人の劇作家ロナルド・ハーウッド(Ronald Harwood)の作品「Taking Sides」は第二次世界大戦直後のベルリンを舞台に、連合軍の非ナチ化政策の標的となったヒトラー時代のベルリン・フィル名指揮者フルトヴェングラーの戦犯尋問を描いた戯曲です。連合軍取調官アーノルド少佐は陰湿に執念深く身辺調査を続け、有罪の証拠を見出そうとします。確かにフルトヴェングラーはヒトラーの寵愛を受け、彼のためにベルリン・フィルを指揮し、ベートーヴェンの「第九」を演奏、ヒトラーと握手した写真も残されています。一方で純粋に音楽を愛する者として、多数のユダヤ人音楽家を国外に亡命させたり、ナチに抗議の声をあげるなども実行してきました。彼なりの理屈はあったのでしょうが、フルトヴェングラーはあまりにも政治に無関心すぎました。
アーノルド少佐はナチの極悪非道な行いを目の当たりにしてきて、ナチ協力者の摘発に渾身を込めており、自由、平等、正義を掲げる良きアメリカ人の典型です。あまりの執拗な追求の手に少佐の側近たちも指揮者の弁護に回りますが、少佐は揺るぎません。はじめは毅然と振舞っていたフルトヴェングラーもついには動揺の色を見せ始め、弱い人間らしさが現れてきます。加藤健一演じるアーノルド少佐は悪役ではありますが、信念の持ち主をよく体現していました。「Taking Sides」の翻訳劇は我が国でも何度か上演されています。そのタイトル、「どちら側に立つか」(1998年)、「テイキングサイド~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」(2013年)、そして「Taking Sides~それぞれの旋律~」(2019年)だけを見ても人間がその立場、立場で運命に翻弄される弱さを持っていることがわかります。
(2019.8.1)