広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter114.太平洋

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

今や政治的にも経済的にも大国となった中国が打ち上げた国家戦略「一帯一路(One Belt, One Road)」は、中国を起点としてアジア~中東~アフリカ東岸~ヨーロッパを、陸路の「シルクロード経済帯」(一帯)と海路の「21世紀海上シルクロード」(一路)で結び、新たな経済圏を構築しようとするものです。後者の海上交通を利用する貿易は、前者の鉄道や道路建設などの陸上交易に比べて、港湾などのインフラ整備はいるものの船舶のみの投資で済むことから、古来東西貿易の主流を占めてきました。

15~16世紀の大航海時代にはポルトガル、スペインは香辛料を求めて競って航路の開発に努め、海運業を発展させました。この過程でスペインのバルボアが太平洋を発見し、当初「南海(Mar del Sur)」と名付けました。その後、マゼランがスペインから西回りで航海し、太平洋を横断して世界一周を成し遂げています。マゼランが「南海」を「穏やかな海(Mare Pacificum)」と命名し、以後Pacific Ocean(太平洋)の名が定着しました。スペインは太平洋貿易の開発者でもあり、18~19世紀にポルトガルとともにアヘンと奴隷貿易で世界に君臨しました。両国の衰退とともにオランダ、次いでイギリスが頭角を現し、イギリスはその圧倒的経済力で英連邦を築き上げ、大英帝国の名を欲しいままにしたわけです(玉木俊明「人に話したくなる世界史」文春新書)。

周りを海に囲まれ、しかも広大な太平洋に面したわが国は、狭い国土からは十分生産できない動物性蛋白を、漁業で海産物から補ってきました。近海漁業は言うまでもなく、大型船を用いた遠洋漁業は明治時代にさかのぼり、マグロ漁やカツオ漁は南太平洋やそれを超えた範囲まで拡がっています。漁業は海流と関係が深く、日本列島の近海では黒潮(暖流)と親潮(寒流)があり、両者の動向や混合水域で漁場が変化し、ひいては漁獲量に影響を与えます。これらの海流は太平洋の表層を流れていて、貿易風によって表面海水が引きずられることから起こり、大きな楕円形の還流系を形成し、太平洋では亜熱帯循環、亜寒帯循環があって、黒潮、親潮はそれぞれその一部です。加えて三つ目の熱帯循環も太平洋には存在します。海水が動いているのは表層だけではありません。深層海水もゆっくりとした動きを見せ、温度(熱)と塩分(塩)で決まる海水の密度(重さ)に依存して移動することから熱塩循環と言われ、北大西洋を起始部に南極低層水を経て最後に北太平洋に達するまで2000年に及ぶ深層流の旅があります。

海水温は水産物だけではなく、気象にも大きな影響を与えます。今夏の猛暑や強い台風の発達も海水温上昇と無関係とは言えません。地球温暖化は世界の海面水温の上昇をもたらしましたが、日本近海の太平洋では最近100年間で世界平均より大きい1.1℃の上昇が観測されています。地球温暖化の主因と言われる二酸化炭素の増加は太平洋表面海水の酸性化を促し、海洋生物の生態系への影響も懸念されます。またプラスチックごみも海流に乗って亜熱帯循環流の内側にベルト状に集積し、太平洋「ごみベルト」と呼ばれる状態で、いずれはマイクロプラスチックとして健康被害をもたらしかねません。

太平洋の海水だけを取り上げると悲観的な将来ばかりのようですが、その底には固体としての堅い海底が存在します。そこには凸部の「海山」と凹部の「海溝」があり、太平洋には世界でもっとも活動的な海底火山山脈を始め、多くの海山であふれています。また水深7000メートルを超える深い海溝の大部分も太平洋に位置し、世界で6番目の広さを持つわが国のEEZ(排他的経済水域)は、日本海溝、伊豆・小笠原海溝、南西諸島海溝などにまたがっています(蒲生俊敬「太平洋、その深層で起こっていること」講談社)。太平洋の海底資源には将来のクリーンエネルギー資源として期待されるメタンハイドレートやレアメタル、レアアース(希土類)といった貴重な物質が含まれています。まだまだ夢のある私たちの太平洋です。

(2018.12.1)