事業管理者のつぶやき
Chapter108.混沌の境地 NEW
市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆
わが国の古典芸能が海外公演を行うことはそれほど珍しくなく、例えば歌舞伎は1960年(昭和3年)に旧ソ連で初の外国公演を行っています。歌舞伎に限って言えば、その後36カ国110都市で海外公演を重ねてきています(2017年)。能や文楽などもアメリカやヨーロッパに積極的に進出し、それなりに好評を得ています。日本語を解さない外国人に古典芸能を理解してもらうため、丁寧な解説はもちろんのこと字幕をつけるなどの工夫を凝らしています。同様にオペラなどヨーロッパの演劇の日本公演では、ドイツ語やイタリア語のセリフでも日本語字幕の助けで誰もがいっそう楽しめるようになりました。佐渡裕さんが芸術監督を務め、毎年プロデュースするオペラの2017年公演「フィガロの結婚」でも字幕の助けがありました。これらの芸能交流は、基本的にはオリジナルの作品を他国へ持ち込んで演じています。しかし、中には骨子は同じでも大幅に改変・翻案されるものもあり、それはそれで興味が持たれます。
狂言風オペラ2018「フィガロの結婚」と銘打った公演は、モーツアルトのオペラに脚色を加え、オペラ、能、狂言、文楽の東西舞台芸術を融合させたとんでもない作品でした。演奏にはスイスの音楽大学の教授陣からなるクラングアート・アンサンブルが管弦八重奏で参加、文楽太夫に六代・豊竹呂太夫が、もちろん三味線も入ります。ときは昔、在原業平の子孫の在原平平(ひらひら)の館で繰り広げられるお馴染みのドタバタ劇です。浮気者の殿様の平平を文楽人形、奥方は能面をつけたシテ、フィガロ役太郎、その婚約者小間使いのスザンナ役お花、家臣蘭丸等々は狂言役者が演じて、演奏を挟みながらコメディが進みます。洋の東西を問わず好色で誰彼なくちょっかいを出す殿様(原作は伯爵)、お灸を据えようとする奥方や召使いたちと、欲、恋、嫉妬など人間の本質をついた原作にモーツアルトのロマンチックな音楽が清涼剤のように流れます。原作の可笑しみに加え、狂言役者がメインの舞台運びですから随所で笑わせてくれます。例えば、「殿様の仕事の半分は女遊びだ」と家臣がぼやくシーンでは「じゃあ残りの半分の仕事は?」と問われて、「そりゃあ、文書の改竄じゃ」。客席はドッと笑います。
いわゆる「通」と称する古典芸能の根っからのファンにとっては、東西伝統文化の融合とはいえ、今回の狂言風オペラは邪道と切り捨てられるかもしれません。しかし芸能の根幹にエンターテイメントがあることを考えれば、東西文化のコラボで何でもありのこの企画は、遊び心満載で十分楽しむことができました。要は受け手(この場合は観客)さえ満足できれば、芸術性云々などの小難しいことはこの際抜きにしてもいいのでしょう。
医療の世界の受け手は患者です。受け手の気持ちを尊重する考えは医療の分野でも拡がっています。従来のインフォームド・コンセント(IC)「説明と同意」よりさらに患者の自己決定権を強めた概念として、今「シェアード・ディシジョン・メイキング(shared decision making:SDM)」がキーワードになりつつあります。SDMには今のところ適切な日本語訳はついていませんが、「患者と医療者の協働意思決定」ということができます。ICでは「医療者が示す選択肢」への着地が期待され、医療者の誘導の影響が大きいのに比べ、SDMでは患者も医療者もどこに着地するかわからない、しかし目指す目標が、過程の中で共有されていくという特徴があります。まさに受け手が満足する状態を期待するわけです。
(2018.6.1)