事業管理者のつぶやき
Chapter101.イタリアにて
市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆
この夏、某大学建築学科学生のイタリア研修に随行する機会を得ました。研修目的は「イタリア建築と街並みを学ぶ」でした。栄華を誇った古代ローマ帝国が終焉を迎え、中世の混乱期のイタリア半島は都市国家が乱立する状態になり、現在のイタリア共和国のほぼ全土が統一されたのは1861年のヴィットリオ・エマヌエーレ2世時代で、意外と近代になってからです。しかしこの国は古来数々の建造物をはじめ、都市造りに卓越した技術を開発・実行し、各地に文化的・芸術的業績が遺されています。今回の旅は、ヴェネチア、パドヴァ、ヴィチェンツア、マントヴァ、ボローニャを経て、フィレンツエ、ミラノの建築を見学し、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック等々の建築様式を学び、理解しようというものです。門外漢の私にとっては、ハードルの高い企画でしたが、めったに得られないチャンスとお誘いに乗りました。
研修で訪れた建物は、キリスト教寺院を筆頭に修道院、宮殿、図書館、美術館、博物館、税関、監獄などの公共施設に加えて貴族、富豪の邸宅等々ですが、当然のことながらキリスト教関係の聖堂、洗礼堂、鐘楼など宗教施設が圧倒的に多数でした。ガイドの説明をメモし、スケッチブックをひろげて熱心にスケッチを重ね、必要な箇所では柱間距離や天井高をレーザー距離計で測定する日本人学生を見て、ふだんは一般観光客に公開しない地下室や天井裏などの見学許可を出してくれる施設もあって、予期しない余得に与ることもありました。
ヴェネチアのサン・マルコ地区から大運河対岸のドルソドゥーロ地区まで祭りの時期に舟橋が設置されてお祈りに行くサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(Basilica di Santa Maria della Salute)は、17世紀に蔓延し人口の三分の一を失ったペストの終焉を感謝して建てられています。この教会は建築家バルダッサ・ロンゲーナの設計によるものですが、完成まで実に約30年を要しています。16世紀のペスト大流行でも大量の死者が出て、高名な建築家アンドレア・パラーディオが同様の目的でイル・レデントーレ教会の設計を担当しています。建築家アントニ・ガウディによるスペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア教会に代表されるように、ヨーロッパの建築物の中には何百年もかけて完成するものや、未完の作品も少なくありません。イタリアの旅で見た建造物でも完成されないままで、それはそれで存在感を持った作品も多々ありました。ヨーロッパ最古の総合大学であるボローニャ大学やイタリアで二番目に古いパドヴァ大学なども、医学部は古色蒼然とした建物を使用していて、中之島にあった母校大阪大学医学部や学生時代はレンガ造りだった附属病院を思い出しました。わが国では旧い建物は完全に撤去してあらたに建築しますが、この地では旧い建物の上部に新たに建てていく手法も多いことを知りました。彼我の処世観、人生観の違いといえば大げさでしょうか。もっとも年一回のペスト終焉祈願の教会の祭りのために費用をかけて大運河に仮橋をかけるなどは、飢饉とコレラの流行で亡くなった死者を慰めるために18世紀に始まったやはり大金をかけて開催する隅田川花火大会と心は同じでしょう。
ヨーロッパの都市のご多分にもれず、イタリアの都市も大小の広場(ピアッツア piazza)をつなぐようにして街が拡がっています。ただヴェネチアではサン・マルコ広場をのぞいて広場はカンポ(campo)と呼ばれ、どちらかといえば小ぶりです。カンポの中央には必ず井戸があり、これは上水道が整備される以前に雨水をろ過して地下に貯め、上水として使うためでした。干潟に築かれたヴェネチアでは通常の井戸を掘っても海水しか出ません。一方、中世ヨーロッパの常として下水道は整備されず、研修対象となったどの建物にもトイレらしい部屋はありません。貴賎に関わらず用便はおまるでなされ、汚物は河川ときには道路に捨てられていたようです。もちろん現代はそのようなことはありませんが、トイレ事情に関してはその清潔性、利便性で日本の良さを再認識しました。
(2017.11.1)