広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter97.病はにおう

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

地球温暖化を実感する季節になりました。この時期に多発する熱中症は脱水による体温上昇が引き金となるので、こまめな水分補給が必要です。体温の上昇はまた発汗を促しますので、制汗剤(antiperspirant)やデオドラント(deodorant)の広告が目につきます。いずれも汗に起因する不快な臭い対策に用いられます。汗にかぎらずヒトは種々の物質を分泌したり、排泄したりします。これらは無臭ではないのが普通で、中には不快な体臭を発散する場合もあります。体臭には異性を惹きつけるフェロモン効果を持つものもあるそうですが、病気特有の臭いを発散することがあります。最もよく知られているのは糖尿病に伴う甘い臭いや甘酸っぱい臭いの体臭でしょう。昔、トイレが水洗ではなく汲み取りだった時代に、汲み取り業者が汚物の甘い臭いから家族に糖尿病患者がいることを予測したこともあったそうです。

歯周病や蓄膿症(慢性副鼻腔炎)では腐ったような臭いが、胃の障害では酸っぱい臭いや卵の腐ったような臭い、肝機能障害ではネズミ臭、腎機能障害ではアンモニア臭、痛風患者は古いビールの臭いがすることがあります。稀な疾患ですが、メープルシロップ尿症、トリメチルアミン尿症(魚臭症候群)、フェニルケトン尿症はそれぞれ特有の臭いの尿を排泄することから、臭いが病名にまで使われているものもあります。体臭が病気発見のきっかけになることもあるので、臭いと言えども馬鹿にはできません。臭いによる病気診断は嗅診(きゅうしん、olfactory examination)という名がつけられているほどです。嗅診は古くはヒポクラテスの時代から行われ、わが国でも明治時代までは体臭を嗅いで病気を診断することが当たり前のように行われていました。

がんに関してはどうでしょう。かなり進行したがんでは、原発病巣や転移病巣が体表近くにあるような場合、がん細胞の壊死による腐敗臭が現れることがあります。しかし、たとえがん細胞に特有な臭いがあっても、通常は人間の鼻で嗅ぎわけることは不可能です。ところが体長1mmの線虫は極めて嗅覚に優れ、がん患者とそうでない人の尿を嗅がせると、がん患者の尿に反応し、その精度は95%以上と報告されました。これを受けて日本のメーカーでは線虫を使ったがん検査の実用化に向けた研究を始めました。研究では微量の尿を検体にして、自動的に大量のサンプルを解析する装置を目指し、完成すれば早期発見が難しい膵臓がんや大腸がんを簡便に発見できるといいます。

線虫と同様に約1200種もの嗅覚受容体を持つ犬を使った同様の試みもなされています。アメリカのアーカンソー医科大学の報告では、臭いの訓練を積んだジャーマンシエパードの混血犬「フランキー」が、尿サンプルから90%近い精度で甲状腺がんを診断したそうです。日本でもラブラドールレトリバーの「マリーン」ががん探知犬第一号として千葉県で訓練を受けています。最近、山形県金山町でがん探知犬による検診が始まりました。健康診断の受診者のうち同意した人から尿を採取し、がん患者の呼気をあらかじめ嗅いだ探知犬に尿を嗅がせて、共通する臭いがあるか調べるそうです。自治体レベルの集団検診にがん探知犬を用いるのは全国初で、このニュースを伝えた医療向けネットワークの見出し「においで『がん犬診』」には思わず笑ってしまいました。座布団一枚!です。今後は犬が嗅ぎわけるがん特有のにおいのもとの科学的同定が必要です。

(2017.7.1)