広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter83.プリンシパル

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

「プリンシパル(principal)」の意味と訊かれると、私はまっさきに中学英語で習った「校長先生」と答えます。財界人はきっと「principal investment(自己資金投資)」など金融関連の用語を思い浮かべるでしょう。しかしバレエ界で「プリンシパル」と言えばこれはもう神様のような存在です。いや神様以上の至高の位置かも知れません。バレリーナの頂点それもあのバレエ王国ロシアのプリンシパル、ウリヤーナ・ロパートキナを追うドキュメンタリー映画「ロパートキナ 孤高の白鳥」を観ました。映画は「愛の伝説」「瀕死の白鳥」「カルメン」など数々の演目を踊る彼女の姿を、舞台や稽古場でひたすら追いかけます。バレエ・ファンにとってはおそらく垂涎のシーンの連続でしょうが、日頃バレエを観賞する機会のない私にとってはやや冗長でした。しかし、コーチの言いなりになるわけではなく、自分の意見も積極的に主張してリハーサルを重ねる様子やマリインスキー・バレエ団の頂点に立ってもなお満足することなく、さらにその上を目指すストイックな鍛錬風景に本物の厳しさを印象付けられます。しかも娘を出産したのちも世界一と評される「白鳥」を披露し続け、プリンシパルを継続するなどまさに驚異的と言えます。 

西洋美術を鑑賞するには、人物の身振りやそこに込められた意味を理解しておかなければならないと言われます。物言わぬ絵画では動作の一部を切り取ったしぐさ一つで、主張する内容も変わります。動作が加わるバレエは静止した絵画とは異なりますが、オペラのように言葉を用いた表現はなく、感情のすべてをしぐさで表さなければなりません。ロパートキナの素晴らしさは、バレリーナの想いを映し出すしなやかな肢体の動きはもちろんのこと、指先のしぐさ、ツマ先の動きひとつまでが、繊細の一語に尽きることでしょう。

日本人でもヨーロッパでプリンシパルを張っているバレリーナがいます。ノルウェー国立バレエ団のMaiko Nishino Ekberg(西野麻衣子)です。15歳で単身渡英し、名門ロイヤルバレエスクールに入学、19歳でノルウェー国立バレエ団入団、25歳でプリンシパルと一見トントン拍子にスターへの階段を駆け上がったかに見えます。その彼女の素顔を描いたのが、ドキュメンタリー映画「Maikoふたたびの白鳥」です。大阪のおばちゃんそのものの実母に激励され、本人もコテコテの大阪人の麻衣子は今35歳でなおプリンシパルとして活躍中です。彼女もまたノルウェー人の舞台監督と結婚、出産を経て「白鳥の湖」で復帰を果たします。妊娠で弛緩した体型を元に取り戻すべく、過酷な筋肉トレーニングとバレエレッスンが続きます。とくに片足を上げたままで連続32回転の難関に挑むシーンは圧巻です。ダメなら代わりを引き受けるダンサーはいくらでもいると監督に宣告され、歯を喰いしばって練習する様は、もう舞踊というより格闘技です。彼女自身が主役の怪我の代役でプリンシパルに躍り出た経歴ですから、そのプレッシャーは並大抵ではなかったでしょう。

それにしても麻衣子の復帰は、ノルウェーの育児制度と夫の協力抜きには語れません。ノルウェーでは夫婦共働きは当たり前で、出産後は夫婦で合計10ヶ月の有給育児休暇があり、男性は最低3ヶ月の育児休暇が義務付けられているそうです。麻衣子の夫は3ヶ月プラス5ヶ月、計8ヶ月の休暇をとって妻を支えています。まだまだオトコ社会の日本からは考えられないことです。日本の役所から「男女共同参画」の文字が不要になる時が、本当の男女平等社会の出現と言えるでしょう。

(2016.5.1)