広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter69. あなたは何から?

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

ある作家がトークイベントで「自分が何でできているか知っていますか?」と問いかけたそうです。あなたなら何と答えますか?

生物学者なら、水と有機物と無機物と答えるでしょう。ヒトでは体重の60~85%を水が占め、あとは有機物とわずかな無機物から成り立っています。また有機物の大半はタンパク質で、生体の乾燥重量の60~70%を占めます。したがって、「あなたは何から出来ている?」と訊ねられて、「ほとんどがタンパク質」と答える人がいても不思議ではありません。別の理系人間なら、「両親の遺伝子」と答えるかも知れません。たしかに子供は両親の遺伝子を受け継ぎ、身体を構成するタンパク質は遺伝子産物ですから間違いではありません。

「あなたは何から出来ていますか?」に「身体(からだ)と精神(こころ)」と答える人もいるでしょう。ヒトがヒトたる所以は「こころ」の存在抜きには考えられません。パスカルの言葉「人間は考える葦(あし)である」を待つまでもなく、ヒトは「考える」からこそヒトなのです。もっとも「葦」の方の解釈は難解で、しなやかで且つ強靱な存在を比喩した言葉などと推察されているようです。ヒトの健康は肉体と精神の両者が健全なバランスを保つことによってもたらされ、いずれか一方が欠けると他方もその影響を受けて崩れます。

「自分が何で出来ているか知っていますか?」と問いかけた作家はもちろん文系人間ですから、生物学的な答えをおそらく期待してはいないでしょう。ヒトは「知識と経験から出来ている」かも知れません。ヒトが暮らしていく上での行動は、ほとんどすべてが自分の持つ知識あるいは経験を基に決断されています。中には反射的に軽はずみな思考・行動をとることもありますが、それとて自己の知識と経験の集大成です。「感情から出来ている」というのもあながち間違っていないでしょう。小は夫婦げんかから大は国家間の戦争まで、感情のもつれが諍いの源になった事象は限りなくあります。争いだけでなく恋愛や嫉妬などの感情は動物にもみられる行動です。しかし、ヒトの感情は動物とは比較にならないくらい大きく心を占拠し、強いインパクトを持っています。「ヒトは生命から出来ている」も答えに挙げられます。たしかに「生命」の消失すなわち「死」は個体の消滅を意味し、「無」に帰するからです。もっともこの考えは宗教家からは異論が出るでしょう。

私自身の考えを言うと、正解はないと思います。いや、いずれも正解と言えるでしょう。一人一人が置かれた状況によって、「自分が何でできているか知っていますか?」の回答は異なり、その複雑な多様性こそヒトのヒトたる理由でしょう。冒頭の質問を投げかけた作家は千早 茜さん(デビュー作「魚神」で泉鏡花賞受賞)です。実は彼女のエッセイ(日本経済新聞「プロムナード」)で、質問の紹介こそしていますが答えには触れていません。ただエッセイの中で、何かを「好き」になることは誰にでも出来ることで、「好き」を作ることが自らの裡(うち)を豊かにすると述べています。

「あなたは何から出来ていますか?」そして「あなたの「好き」は何ですか?」

(2015.3.1)