広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter26. 光と陰

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

東京・上野公園の国立西洋美術館で開催されていた「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」に行ってきました。レンブラント・ファン・レインは、ヨハネス・フェルメールとならび17世紀オランダを代表する画家で、「明暗の巨匠」と呼ばれ、光の描写と陰影に富んだ技法は「光と陰の魔術師」にふさわしい作品を生み出しています。寡作であったフェルメールと異なり、レンブラントは多数の作品を残していますが、なんと言っても特筆すべきは、油彩に負けず劣らず数多く制作された特徴的な版画の数々のもたらす世界でしょう。ひとくちに版画といっても、版の仕組みや版画の技法に多くの種類があることを、この美術展で知りました。とくに西洋美術の世界では、銅による凹版画が主流を成していて、その製版技法として、エングレービング、ドライポイント、エッチングなど、直接あるいは間接に版面に凹部をつくる手法が用いられています。レンブラントはこれらの版画技法を巧みに組み合わせて使い、いわゆる「キアロスクーロ(明暗法・陰影法)」を昇華させ、「光の魔術師」にふさわしい作品を生み出しました。

レンブラントは、油彩にしても版画にしても非常に緻密な筆致で描いていますが、陰の部分を微妙に描き分け、その結果光があたる部分が強調されて、テーマが力強く視る者に伝わるように思います。彼はまた版画用紙に和紙を好んで用いています。これは和紙の持つ中間色を愛したためと考えられていますが、ここでも陰が光を支持する構図に変わりはありません。

チャイコフスキー作曲のクラシックバレエ作品「白鳥の湖」は、悪魔によって白鳥の姿に変えられたオデット姫がヒロインです。姫に求愛することでこの呪いを解くことが出来るジークフリート王子を、オデットの姿に似せて現れた悪魔の娘オディール(黒鳥)が誘惑し、絶望した王子とオデット姫は湖に身を投げて終わる悲劇です。ここでは白鳥イコール善・正義、黒鳥イコール悪・悪魔と単純におとぎ話の世界が展開します。映画「ブラック・スワン」はバレエ「白鳥の湖」のプリマの座をめぐって、バレリーナの熾烈な競争と心の葛藤を映像で表現したサイコスリラーの佳作です。白鳥にふさわしい美しく可憐な主人公ナタリー・ポートマンが、邪悪で官能的な黒鳥に挑戦する過程で、現実と悪夢の世界をさまよい、ついには最高の演技を披露して幕を閉じます。映画のキャッチ・コピーでは、「バレエ界の表と裏、人間の光と影をあぶり出した映像世界」と述べていますが、主人公が純真な白鳥役でとどまらず最高のプリマになれたのは、対極の黒鳥役がぴったり似合うライバル・バレリーナの存在があってのことでしょう。映画は衝撃的な結末を迎えますが、主人公にとってはハッピーエンドだったに違いありません。

「光と陰」、「白鳥と黒鳥」と、いずれも共存できない存在ではありますが、「陰あっての光」、「黒鳥あっての白鳥」と、対立的存在も必要悪と言うよりもむしろ必須の存在であるとも考えられます。その究極は、「生と死」ではないでしょうか。死があるからこそ、人間は生、「人生」を輝きのあるものとしなければなりません。誰もが避けて通ることの出来ない「死」こそが、その人の人生の総括をするのです。病(やまい)を機会に、人間は単に生きているのではなく「生かされている」ということに気付き、余命を真に「生きる」ことを知ると精神病理学者は指摘します。とくにがん患者でよく知られる事象です。医療の現場とりわけ病院は、常に生と死が隣り合わせで存在しており、芦屋病院も例外ではありません。誕生してから皆が等しく迎える「死」までの余命を生き抜いていることに気付いていただき、お一人お一人の人生を実りあるものに出来る病院でありたいと願います。新しい緩和ケア病棟のコンセプトのひとつに考えています。

(2011.8.1)