広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter126.馬鹿と煙

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

「馬鹿と煙は高いところへ上る」といいますが、古来人類は高い建物が好きなようで、その典型が旧約聖書にみられる伝説「バベルの塔」でしょう。バビロニアに入植した人々(ノアの子孫)が、神のいる天を目指して巨大建造物の建設に取りかかり、神の怒りに触れました。神は「人間の言語が同じなためにこのような馬鹿げたことを始めた」として、人々の言語を混乱させ、互いに通じない言葉を話させるようにしました。バベルの塔は現存しませんが、レンガとアスファルトで作られたジッグラト(聖塔)と考えられます。

バベルの塔の伝説にもかかわらず、その後の人類も高い建造物への挑戦を止めていません。古代エジプトのピラミッドが良い例で、最大級のクフ王のピラミッドは高さ146.6メートル、底辺の一辺の長さは230メートルです。太陽信仰が盛んな時代にあって、死後に太陽神に近づきたいという王の願いが高さを求めたと思われます。古代エジプトに建てられた神殿の石柱(オベリスク)もまた太陽に近づこうと高さを競い合いました。このように高層建築物には宗教的理由から建てられたものもたくさんあります。キリスト教の大聖堂(カテドラル)、イスラム教のモスク、仏教の仏塔などもそうです。大聖堂で最も高い部分は入口側の双塔や中央部の尖塔です。ボーヴェ大聖堂(フランス)、旧セント・ポール大聖堂(イギリス)、ウルム大聖堂(ドイツ)などいずれも150メートルを超す高さを誇っています。モスクのドームやミナレット(光塔)も宗教的権威を象徴し、ダマスクスのウマイヤ・モスクに始まり、サーマッラーの大モスク、イスタンブールのスルタンアフメト・モスクなど50メートル以上の複数のミナレットがスルタンの権威を誇示していました。わが国の仏塔もまた権力の象徴として建立され、日本初の飛鳥寺の五重塔、藤原京の大官大寺の九重塔(91メートル)など宗教が国家権力と結びついて高層の仏塔が建てられています。(大澤昭彦「高層建築物の世界史」講談社)

国家権力といえば近世日本における城の天守閣でしょう。城下町の建物の高さ制限を行う一方で、城郭の大きさと天守閣の高さで権勢を現しました。なかでも最大級の江戸城、大阪城は石垣と天守の高さを合わせるといずれも58メートル以上でした。陵墓や城郭に実用的、戦略的権威がなくなった後も、高層建造物は今や観光資源として東西を問わず活躍しています。また人々の高い建物への憧れや権力誇示の感情は決して失われていません。

21世紀に入り、数多くの超高層ビルが建てられました。2014年末時点で、高さ150メートル以上の高層ビルは約3200棟におよび、最高層は163階・高さ828メートルのブルジェ・ハリファ(ドバイ・UAE)で、上位10棟の大半はアジア(中国、マレーシア)、中東です。いずれも新興国の威信が見え隠れするように思うのは日本人のひがみでしょうか。ちなみに日本の高層ビルの一位はあべのハルカス60階・高さ300メートルで2014年に完成しています。超高層建築物の増加に比べて、電波棟や展望塔などの自立式タワーの建設は減ってきているようです。そのなかで2012年に完成した東京スカイツリーは高さ634メートル(「むさし」の国の語呂合わせともいわれます)で、現存する電波塔としては世界一高いタワーです。当初610メートルと計画されていた東京スカイツリーが634メートルに変更されたのは、当時中国で計画中の電波塔広州タワーが610メートルという情報が入り、急遽高さを上積みしたとのことです。私たちも中東や中国の人を笑うことができません。さて、文頭の「馬鹿と煙は高いところへ上る」は「愚か者はおだてにのりやすいというたとえ」(ことわざ辞典)で、高層建築物とは無関係でした。

(2019.12.1)